昨日行ってたのは、ボランティアバスの前準備をお手伝いする月1回のボラでした。
さすがにみんなで手馴れてきまして、手分けしてちゃっちゃっと。アラもう、これで作業は終わり?ってなモンです。
年度末で区切りをつけるので、世田谷ボラセンの被災地ボラバスも来月で終わりだそうです。
みんなの、良心というか気休めというか?も、そろそろ切り上げる頃合いなのね。
作業後のお茶タイムで話題になったのは、とある被災支援グッズ。
商品としての魅力が形になっていないとか、売りのエピソードはあるのだからそこをもっと、とか。
普通に、「商品」としてのダメだしをする。しかも茶飲み話でしかない。――このユルさ。
実際は、行政に対する怒りがカタチになった、「硬い熱い」想いがこめられているグッズで。
わたしはステッカーを1枚。ワンコインで買いました。
――にしても、あまりにアタリマエに、日常すぎる。震災の末端の、慣れ。
大騒ぎすることでもないけれど、あたりまえすぎている感覚もどうなのだろう?と思わなくもなく。
現地の怒りもこうやって、ゆるゆるといなされていくのが、いいのか悪いのか。
風評被害、の話もでました。(風評被害については、簡単に定義できないと思う)
出来る範囲では、被災地経済の応援もするけれど。
食べたくないという人たちに、食べるべきよとは言えないし。
それに、
子どもたちや、これから子どもをつくる人たちは、あのへんの地面や食べ物からは遠ざけておくべきだろうし。
代わりに年寄りが、行ったり食べたりすればいいわけだし。
そういう、住み分け、暮らし分けが、言葉の下の下で共通認識となっていくのかな、とか思う。
個人の自由意志、選択のもと。
ある方が、被災者(この言葉もだんだん使われなくなってくのね)さんとの会話で、妙にちぐはぐだと思ったら。
そうか「おととし」のことだったんだねと気づいたって。
え、あ。
来月で丸々2年立つんだ。と、次の一瞬、みんなで言葉を失った。
わたしは。長く濃い2年だったなぁとひっそり思う。
そして今のわたしが居る。
すごくすごく遥かな気分だった。誰に言うわけでもない。これは自分自身との確認だ。
何を感じて、何をしてきたか。
そうして出会ったことがいかに大切なことだったか。
不謹慎だから、大声では言えないけれど。
震災のおかげでわたしは大道芸と出逢った。その必然。
なければ出会えてなかった。と思うと、ほんとになんていうか、遥かな気分なのだ。
ずっと感じていた、昨今の演劇の持つ閉塞。
その答えを。
大道芸から始まり、「見世物」の周辺にあるらしい気がしてる。
えっとね。イコールではないからね。慌てないでね。
そのへんは、まったくの別物です。
演劇が、啓蒙とか高尚とかを気取っているうちに失ったものを、洗いなおすための、
ヒント。原点。考え方。壊し方。――そのへんの手ごたえを。
わたしの中の乱麻を、ほぐされた気がする。や、断ち切るまでは、なかなか。
震災がなければ、未だに暗闇の中に立ち往生していたのかしら、と思う。うはぁっ。
ね。不謹慎。
魅せるとか、脅かすとか。お金をいただくとか。
説明しようとすると、それ、『風姿花伝』に書いてあるじゃん。なんだがね。
ごめん。いちいち言葉で説明する気もないわ。
おとといからちらちらと読んでいるのは、小沢昭一さんの『私は河原乞食・考』 1969年 です。
50歳のわたしに、40歳くらいの小沢さんが
笑いながら昔話を、わたしが10歳くらいだった頃のお話をしてくださっている感じ。
なんとなくわたしには、そののほほんとした淫靡の匂いが嗅ぎ分けられる。
時代の匂い。
10歳。
こんな場所のホテルに誰が泊まるの? 商売になるの? 休憩って何?と母に訊いてた頃だわねwww
(ちなみに母は。出張とかで上京した人が使うんじゃないのぉ?とシラバッくれてました。ちょっと一休みしたい人が休憩料金を使うんじゃないの? ふーん。 ははははっ 呑気だったわ〜)
で。この本を読んでいるとね、わたしには「これからの演劇に期待したいスタンス」を確信できる気分になるんだが。
この匂いのわからない若い人たちが読んでも、
ストリートや酔っ払いやおまわりさんやホームレスさんが近しい(?)パフォーマンスの実感がない人にも、
ちょっとわかるかとは? (-"-) うーむ。 わかる?
ま、いいんだけどね。
私は河原乞食・考 (岩波現代文庫) 価格:¥ 1,050(税込) 発売日:2005-09-16 |