祐一郎さんのトートがね。
今までと同じことをしているのに、同じことしかしてないのに。突然違う匂いみたいなものをまとわせていたの。
導入部のあたりは、なんか妙に人間の(恋する)オトコっぽくなっていて。アンタがそこでその女の子に恋したから悲劇が始まっちゃったのねぇなんて、思わされたり、したよ。
全体にとろりと甘くなってる。
でもどこかフレッシュで、声の広がり方が懐かしい、感じ。
仕草がちょっとクールになったのかな? いや?
なんでだろう。内面だけを変えて演じてるのかな、とも思ったんだけれど。
わかんないわ。
ただね、ワインを味わうってこんな感じなのかなと思った。言葉にできない複雑で感覚的な楽しみ。そんなふうにも楽しめるのだな、舞台役者を観続けてるってことは。
せなさんのシシィは、みごとに生まれ変わってました!
たぶん「巧く歌う」のをやめた感じが、役や声を生き生きさせてるの。
『わたしが踊るとき』が、まぁのびのびとかわいらしくて! わたしの趣味だと、次の精神病院での感情に繋げる「恐れ」みたいなものが、ここで混じらないのかなぁとか考えたりもするのだけれど、
ま、いい。
どうか。飛ばしすぎて(体力を消耗させすぎて)、どっかでぶっ倒れませんように!
この日の組み合わせはね。
せなさんのシシィと、岡田さんのヨーゼフと、もりさんのゾフィーさまの力関係のかけひきが実に実に絶妙で。完璧なドラマの緊張感がたまりませんでした。
若いヨーゼフの不安定感が、よかったみたい?
それが後半のドラマに、深い陰影をつなげていってた。『夜のボート』もとてもロマンティック!だったし。
そういえばうっかりと、
寿さんのゾフィーさまを全部はずしてしまったのは、今回の唯一の心残りです。今井さんマックス(特に二幕の美声がうれし〜)とのからみが、きっと爆笑な気がするの〜(違うかな?)
そだ。今井さんとせなさんの父子関係も、深くなった気がしました。「旅」の持つ意味が、おもてに出てきたような。
映画の『忍たま乱太郎』で、ちっこいのたちがわらわらと走っていく後姿にツボってしまい、現場はさぞ大騒ぎで大変だったんだろうなあ、とか。
それでね、加藤さんを見ると、もぅ、笑みこぼれてしまいます。ごめんね。
その身体表現能力、大切にしてね。
ヨーゼフとトートって、悪夢の中で実は初めて対決するのね。という火花は、このままでいいのかしら? えっとえっと? とも、はじめて気づいたんだ、けど。
あのシーンのルキーニさんって、なんで少年っぽく見えるのかなあ。(そう見えるのは、もしかしたらわたしだけ?)とも、いつも思っています。
で。高嶋さんのルキーニの安定ぶりは、モンスターです。
以前ね、最前列の席で観たとき。
膝向こう10センチ?のところにルキーニさんが立たれて、真下から横顔を見上げながら惚れ惚れするハンサムさんだなあと思ったものでしたが。
この狂気と冷静が同居した存在感は、他の人には困難なんだろうな、と。今では、おそれおののく気持ちのほうが強いのでした。(映画『スマグラー』の印象を、まだ引きずってるのも、ある)
さてさて。
時とともに、『エリザ』をこれだけの作品に育ててしまった演出家さんは!
どれだけうれしいんだろうなあ! だってまず、ご自分の手柄、ですもの。
そして、怖くはないのかなぁ――
つなげられない、わずかな創作の歪みの数々を。
役者たちのそれぞれの感性が、デリケートに繋いでいったすごさ。
それは、時代とともにテーマすら変えていき、
さまざまな情熱が重なり、重なり、ついに
「呪(まじな)い」となった作品。
そんな気もしているのです。
え?
うん。
何に効く呪い、なんだろう???
それも、わかんないんだ。まだ――