あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

イェイツ覚書『対訳詩集』

夕べは岩波の『対訳イェイツ詩集』高松雄一編を、超斜め読み。
感想。
ノーベル賞をもらった聖者さまかと思っていたが、とんでもないオヤジだったみたいだ。 W.B.イェイツ。

わたし自身、50歳に手が届いたら少しは人間として枯れるかと期待満々だったのだが、撃沈。
ではいくつになったら?と内心不安に思っていたが、
どうやらイェイツは73歳の死の直前まで、世の中への怒りや自身の混迷に猛っていたみたい?で。 はぁ、自分らもなのかなー?と、溜め息、溜め息。

この詩集のおもしろさは、ほぼ、書かれた年代に沿って並べられていること。
イェイツの「心の旅路」がキレイになぞれる。
おあっ? 詩の風合いが変わった?と思うと、ちゃんと年代が飛んでるし、
あれ? 考え方が戻ったの?と思うと、年代順が入れ代わっている。
(編集のルールには、それなりの理由があるようです)

年表もどきを、自分でメモしながら読んだのだけれど、
青春の傲慢や、アイルランドの時流や、失恋や、結婚や、自身の年齢が、
ご自身の内面にリンクしていて、すごくわかりやすいオヤジだと読める。
そしてたぶん、永遠の厨二病。 (←これはもう、他人事ではありませぬなwww)

長い長い失恋の直後に、若い女性と結婚し、
そして生まれた娘に贈った(のであろう)詩なんか、
こんな女にはなってくれるな!という願いが込められてるし! (爆! って、こーいう読み方すると、学者さんに怒られるのかな)

  

発端は、

去年の開次さんが出演された『鷹の井戸』について書いたブログを読んだと、
先日、見知らぬ方からメールをいただき、
イェイツに関するその方の考察レポートも読ませていただいた。

そのレポートの中に引用されていた詩の中に
life easy とあって、
くぃっと惹かれる。 素直に、気楽に、簡単に、生きる――?
あれ、なんか、すごく大切なことを言っていない?

そのときは、
イェィツがケルト伝承やオカルティズムを通して、アイルランドの国民の独自性を呼びかけたように、
日本でも遠野物語とか、古事記を通して――みたいなことを考えて。
ん。 日本も過渡期だからなぁ、と。

 

で、思い出して、松岡正剛の千夜千冊を読み、

ちょっと、誤読しました。
(この場合、わたしが誤読したというより、松岡さんの書き方からがあやふやじゃない?とも思えるけれどな)

つまり
何度も鷹の井戸のそばにまで辿りつきながら、鷹が舞い上がって自分を嘲っているのを見ている。
というくだりを、鷹=芸術の極みと解釈して『鷹の井戸』を眺めなおし、
おや、これは?と、興味を持ったのです。
見果てぬ欲望の刹那さの話だったのか???

でもね。 上記の岩波『対訳詩集』を読んでみると、
泉=芸術の啓示、鷹=誘惑(邪魔)する女性、に思えてくる。
『鷹の井戸』のあとに書かれた『再臨』という詩の中では、鷹=飛翔する魂のイメージ?が出てきて、まあ、なんらかの象徴ではあるのだろう。

何がテーマだったんだ、『鷹の井戸』? 
改めて読み直して、今のわたしたちに何を語り掛けたい?
永遠の厨二病であることの必要性か?

 

問題は、
『鷹の井戸』が、ロンドン(アイルランドと敵対する)で、上流階級(支配層)に向けて、初演されていること。 1916年、何月のことかは未チェック。 6月を過ぎていたらイェイツ51歳。 うん、今のわたしと同い年だ。
イェイツ自身は、アイルランドイングランドの双方の恩恵を受けているようで、
アイルランドの独立運動に関しては加担しながらも、複雑な思いがあったのだろうなと、これは一言でまとめてはいけないこと、だ。
んでね、
イェイツのファム・ファタール(運命の女)が別の男と結婚、出産、別居、離婚して、そのダンナが刑死したのも1916年(何月のことかは未チェック)。
1917年に、イェイツはその女性に最後の求愛をして、断られ、52歳で25歳の女性と結婚してるらしい。
ちなみに、第一次世界大戦は1914-1918。
アイルランド独立戦争は1919-1921。 1916には復活祭蜂起すぐに鎮圧(友人らの犠牲)ということも起きている。

さて、そんなこんなの中で、
というよりその1年ほど前に、構想され、書かれた『鷹の井戸』ですぜ。
オッサンは、何を歌いたかったんだ?

 

次に読むのは、
69歳で回春手術をしたという『イェイツ 自己生成する詩人』萩原眞一 著
『ライオンとハムレット W.B.イェイツ演劇作品の研究』岩田美喜 著

 

 

これらが、何らかのストーリーとして形を為すかはわからないけれど。
とりあえず、
お能とイェイツと」とカテゴリーを作って、去年啓いたお能・その他についても、こっちにカテゴってみます。 

 

あ、千夜千冊を読んだついでに、折口信夫『死者の書』についても読み、なるほど、
死者の書』も再読。 って、わたしの手元にあるのは選集で、(抄)とついて一、二しかないのだけれど。 今回は、魂の浮遊感みたいなものを感じて、読めた。
このへんも、たぶん、繋がる。

死者の書』を全部、読みたい方はこちらです。 
味わいは楽しめるが、わたしにこの長文の理解は、無理。