あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

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繋げる繋がる? その向こうへ

窓を開けると春の雨。 しっとりとした肌寒さを楽しむ。
なんてね。 数分で、やっぱ寒い〜と無意識に窓を閉めてる。 

 

昨日あたりから、ダンスとかホラーとかを通して「人がエンタメする理由」みたいなものがわかりかけてきた気分があるんだよ。 
そ、気分。 指先を掠めた程度の感触。 メモする前に解けてしまう言葉。 
では自分は?という行動の方向性に繋がる、軽い快感?

若い頃によく「共振」という強い言葉を使っていた理屈に近いと思う。
ただ、いま感じるのは、もっと細くて頼りなくて、だから愛しいというタグイの感触――
「確認」という言葉も近いのだけど――

だめだ。 

言葉に置き換えようとしたら、感触が逃げちゃった。

 

最近ね。 ミュージカルの台本の書き方が、ちょっとだけわかってきたような手触りがあるの。

つまりはこーいうことなんだよと、誰も教えてくれなかった、作劇の文法。
では、
誰にならどこでなら教えてもらえたのかと考えれば、どこにもなかったと思う。

あちらこちらで、いろいろな専門的なカケラを、親切丁寧に教えてもらい。
ささやかな現場で実践して、いくつかの資料を分析して、
周囲の人たちへの気持ちを持て余し、感謝して、
それから自己に閉じこもってみたら(書くって作業はそーいうコトです)、
自分のカラダが発見した。

うん。 「生きる」ってことと似ているの。 気づくまで、なんて手間隙かかること。
それを便利にするために、世の中には「学校」があるはずなんだけれど、

ミュージカルの創り方という学校は、少なくとも日本には、ないよね。
勉強会をしたいと言ってみた時期もあったけど、誰も相手にしてくれなかった。
笑笑っ。 だから、ひとりで引き籠ったんだっけ――

 

「情報の共有」は、会社組織で円滑に効率よく結果を出すために、最近ではずいぶん当然のように語られる言葉だよね。
でも、エンタメ/演劇・ミュージカル・ダンス部門には、それがないと思わない?
それぞれの分野の間に、って意味ね。 つくづく派閥意識が強いというか、分野ごとの世界に閉じこもって、他を見ないよね。
わたしはそれぞれの分野に、少しずつ係わって。
だから、なんでコッチの人はコレを知らなくて、アッチの人はアレを知らないんだ?と、しきりに感じていたんだよ。

わたしの感想をおもしろがる人たち。 めずらしがる人たち。
そういうことですよぉ。

ミュージカルは総合芸術とかいうわりには、舞台芸術全般に無関心な方が多いような?
演劇は空気感がとかいうわりには、音や音楽に無頓着な舞台が多いような?
もっと言えば、古い理論にしばられたままの演劇やミュージカルも、あふれているよね。 

 

おととい、キムさん(コンテ・ダンス)のユニットの公演を観たよ。
ダイヤモンドな部分と、幼い未消化が交じり合う、けど、それなり、にまとめられた、スタジオ空間だった。 キムさんのカラダの様式?が若い人に伝承されてる不思議。
メンバーが全員入れ代わっているのに、ひさしぶりな「輝く未来」らしい空間が垣間見え、なつかしかったのも不思議。 演出はKEKEさんという方だったらしい。
それから、キムさんのカラダがひさしぶりに、プリプリしてた♪ うん、お尻とか。 何か新しい出会いを見つけたのかな? 新しいキムさんが始まるのかな?

そのダイヤモンドな部分なんだけどね。 
あれ? 圭介くんが岡野さん(演劇)とやっているコトと、ちょっと似ているって思ったんだ。 「言葉と身体の――」、出会いというか発見というか、コラボというか。
ストーリーとか意味づけを否定した言葉や時間の向こうに見える、肉体と声を通して存在する人間の輝き。

求める方向性はたぶん同じなんだと思う。 
違うのは演じる素材が、ダンサーであるか、役者であるかの差。

からだを意識・支配する技能は、ダンサーの方がよっぽど訓練されているんだ。
方法論が違う? いや、通じるモノはあると思うよ。 ない方法論もあるだろうけど、ね。
そして言葉。
変に意識しない(できない)から、ダンサーは自然でまっすぐなからだの響きとして発せられるみたいなの。 とてもピュア。
しまった、圭介くんにコノ部分は観せたかったかも!と思ったけど、あとの祭り。
キムさんのユニット、これで解散しちゃうからね。 創り続けるにしても、別の形になるはず。

しかし。 うーん。 一方で、ダンサーという生き物はね。
どうでぇ、こんなにこんなに必死に踊りきったぜぃ!という表現をしないと満足しないのかな、と思う。 エネルギーの凝縮と昇華? 消化?
観る側(ダンスファン)も、それを求めるのかな。 わたしにはウザい。

はい。 それを言えば、
役者だって自分の満足のために、!大熱演!をやりたがるよね――
それが演劇の高揚だと明言するファンもいるわな。 わたしには、サムいだけだが。

 

舞台空間の、新しい表現分野が、生まれようとしているのかもしれない。
わからないけどね。 誕生は偶然な贈り物。 
抽象的で内面的な、高度の結晶は、大勢に支持されるエンタメには難しい。
それでも、
表現技術のポーターを超えて、共有できたら、産み出すことができたら、たぶんステキ。

キムさんは今度、小劇場演劇に出られるみたい。 どんな亀裂が生まれるか、ちょっと楽しみかな。

 

ふぅ。 長い文章を考えているうちに(途中でご飯もつくって食べた)、
春の空気は冷めて、冬に戻っちゃった。 でもどこか、ヌルイ冬。 
三寒四温。 わたしが一番、風邪を引きやすい時期!を迎えるわけだね。

あなたも、ご自愛くださいね。