あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

秘すれば花?

昔、日本のグラビアは、性器やヘアは見せてはイケナイとなっていて、
アメリカ等のそのテの雑誌とかの持込は全部禁止されていて、
日本の文化人たちは表現自由の侵害だと軽蔑していたわけだけれど。

わたしは、なんてカッコイイんだろうと思っていたんだ。

当時、通常の方法では持ち込めないポルノグラフィを、おとーとは学術書と一緒に留学中の友人から送ってもらい(コラコラ)。
いやぁ、モノでしかない女体、色の違う女性器の羅列という無神経さに、

秘することでソソラセる日本の文化の奥深さに感心したワケですよ、わたしは。
日本政府、エライよ、と。

やがてコミックでは、あえてソコの部位だけ空白にして描かないという手法が流行り。
ヤラレタ!と思ったモンです。
性器なんてグロテスクな形状は、描けば描くほどコメディでしかなく。
エロを支えるのは、シチュエーションなんだなぁ、とか。

 

もっとも「法」の側としては、自分たちがそんな「粋」を演出しているとは気付いておらず、
アングルの名画(原寸大のヘアヌード)が展示会用に日本に届いたとき、横浜税関で足止めをくらわせるという道化を演じていました。(その展示会でバイトしてたんで知ってるんです)
あ。 苦情を言われて通関させちゃったことも、ある意味、道化か?

あーいうのは名画だから別でしょ、と思うかもしれないけれど。
写真技術のなかった時代の、宗教的な罪悪感が今よりずっと深かった時代の、金持ちのためのポルノグラフィだと思いますよ、全部。
ゴヤの『マハ』の発見エピソードなんて、いい例ですし。
オッパイのタッチだけ、異様に執拗に情熱が注がれている画、多いですよ。

無宗教な日本では、枕絵という文化が花開き、
これは淫靡と開放、ムードとコメディの両極端を持っているわけだけれど、
キリスト教に支配されてた文化圏では、別の形を取らざる得なかったんでしょうね。

  

隠れて眺めるという恍惚。 後ろめたい気持ちが神秘や文化を産むわけで。
性欲という野蛮で単純なモノを、エロという幻想に飛躍させられる人間のスゴさ。

なので、
どんどん開放的になる日本の性表現に、開放されるほどにエロくなくなっていく文化に、
むしろわたしはガッカリしていたので。 

今回の一連が、逆に創意工夫という表現の幅を拡げてくれるといいなと思うわけでしたが。
んん。 ということが起こるほどの圧力すらも持たないわね、あれじゃ。
男の子がビニ本という「憧れ」を持てるようになる、くらいか???

施政者が文化を理解してないという反撃は、駄々に過ぎないですよ。
「法」に反対するのではなく、いかに潜るかが、(少なくとも)江戸の粋のはず。

 

今回もっとも理解されていないのは、斜陽なリアル本屋さんたちという弱者に、
店内のレイアウト替え等を強要する姿勢じゃないかとも思います。

もうひとつ。
コミックは規制されるのに野放しのままの小説は、恥じないのかな。
同様の規制による、
R指定コーナーの夢枕獏とか金原ひとみとか。
お、ステキじゃないか。
ほらね、シチュエーションが盛り上げるエロって、こういうことよ。 

  

       * * *

 

とまあ、ここまでは芸術論もどきで、性犯罪のトリガーとして考えると。

規制の反対理由と、規制が必要な原因とがぎくしゃくと噛みあっていないことを、マスコミの誰も糺さないことがむしろ疑問。
文化人は、コミックが性犯罪のトリガーになってるとは限らないことを証明しなきゃ。
施政者は取り締まりによって展開される美々しいビジョンを提示しなきゃ。

そしてなんでもかんでも「法」というみんなのルールを設定することで、問題が解決できるとする日本人の発想。
自分の考え、行動の責任を各自(親)が持てば済むはずなんだが、「人のせい」にできる土壌をつくりたい。 それさえあれば安心できる。
そっちを糾弾したらどうなんだろう?

 

とまで考えると、
ひっこみがつかなくなった施政者たちの悲壮な喜劇、が見えてくる? 

あの条例の対象になる具体的な作品って、あるのかな。
そんな条例をつくらなければならない立場になっちゃったんだよね。

かわいそうに。 という感想の一言が、オチ。