あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

ゴッホ展

六本木でやってる『ゴッホ展』に行ってきた。 

いつの間にかわたしはウカツにも「行くよね」にウンと応えていたらしく、友人デジとごっちゃんと一緒。 何がウカツって、美術館に行ったらわたしは連れなど放り出して自分のペースでうろつくに決まってて、失礼極まりないのだが。
ま、ごっちゃんはエルミタージュで経験済みだしな。 デジにも遠慮はいらないか。

日本人はゴッホが好きだね。 
デジもごっちゃんもわざわざ仕事を休んで平日を選び、開場時間に合わせて待ち合せもしたので、人の頭越しだったけれど気が済むくらいは観賞できた。 けど会場を出る頃(2時間後、正午頃)にはかなり混んでた。
なんで? 
ゴッホの絵って好きだけれど、部屋にあったら落ち着かないよねぇとデジ。 うん、そう思う。

たぶん、
日本人の多くがイメージする究極の画家、芸術家の姿に一番近いのがゴッホの人生のイメージなんじゃないかと思う。
自傷、発狂、貧困、無理解、自殺。
生前は1枚しか売れなかった絵が、今では1枚何十億という値で取引されるロマン。

楽しいのは、昨今それに疑問が沸き起こっていて。
耳を切り落としたのは本人ではなくゴーギャンじゃないか、とか。
自殺ではなく他殺(犯人は三パターン候補がいる)だったのでは?とか。
基本、ゴッホ財団がすべての資料管理をしているので、財団の主張にあわない資料はにぎりつぶされている可能性が高い、とか。

 

そもそもわたしが興味を持ったのは、先だってのオルセー展。 
ゴッホではなくてゴーギャンに。 向かい合った壁に並んだそれぞれの作品群。 ゴーギャンの都会的な器用という不器用さを感じて、共感。 ゴーギャンにとってのゴッホは愛憎の対象だったのでは?という予感。
エルミタージュ(←U:russia P:ahara)でいよいよその考えは深まり。
鎌倉からの帰り、話の流れで、ゴーギャンって実はかなりイヤなヤツだったんじゃないかと思うんだと言ったら、デジに力強く「うん」と即答された。
え? そうなの? なんで?とこっちが驚く。 「ゴッホへの態度を考えるとなぁ。 ずいぶんヒドイじゃない?」 デジがゴッホマニアだとはそれまで知らなかったので。(35年来の付き合いですけどね) びっくり。 何を読んだら?と訊いたら小林秀雄の名まえが返ってきた。

ネットで検索して、結局他の本を数冊買った。 小林秀雄も、まあ、いずれ。 最後はゴッホの書簡集になるんだろうなと予感しながら。 結局まだ2冊しか読んでないから、まだまだ先は長いな。 
ちょうどその頃、BSでゴッホの特番(再放送?)を見る。 
(ある日突然、風見鶏はいっせいに同じ方を見るってヤツですね) 
読んだばかりの本の作家も出演されてた。
番組のほうは、他殺説、耳の事故説、贋作説。 定説をひっくり返すめちゃスリリング。 しかもどれにも、説得力がある。 わくわくわくわく。

 

展示会場では、気付くとデジが近くにいるので、疑問や感想を口にすると答えが返ってくる。 これは幸せそうな絵だよねぇと言えば、「そりゃ大好きな大好きなゴーギャンくんが来るのをわくわく待ちながら描いた絵だもの」、
この絵を描いたときはもう浮世絵とは出会ってるのかな?と言えば、「年代からしてもう出会ってるね」という調子。
この辺の絵は〜〜な精神状態だったわけだから、〜〜と〜〜のどっちを思って描いたんだろうと読み取りたいんだけどね。 「うーん、どっちだろうねえ」
などなど。
逆もある。 「なんでゴッホはこの時点で絵が仕上がったと判断したんだと思う?」 
仕上ったんじゃなくて、次の絵次の絵が描きたかっただけかも。 思いつきで応えてから、確信したりして。

ゴッホの破綻した人格、弟テオとの関係。 会話してるとどんどん整理できてくる。
ウス塗りの作家が多かった時代に、この絵の具の盛り上げ方! つくづく(金を無心され続けた)テオは大変だったよね、とか。
わたしの興味はテオに拡がっていく。 風変わりな兄への献身だけで、ここまではできないよな、とか。 ゴッホに売れる絵を描かせるためのプロデュースをしてないはずはないよな、とか。

 

ある部屋で、気付くとわたしはひとりでぽっかりと中央に立ち、三方の壁を眺めていた。 音が遠のく。 それぞれの絵が恥らいながら何かを語りかけてくる。
画家の飢餓感、疾走感。 周囲との不調和という苦悩と憧れ。
全身に受け止め、さぁ最晩年の絵の部屋へと向かおうとしたら、出口だった。
へ? ?
出ると、「最後が肩透かしだったねえ」というデジがいた。 「作品が世界に分散している以上、一気に全部の流れを観るのはやっぱり無理だよねえ」 

ん。
今回のゴッホ展のおもしろさは、習作時代のデッサン(なかなか味わいはあるが素人くさい♪)がたっぷりあるのと、同時代の他の作品や、ゴッホに影響を与えたと思われる作品(場合によってはレプリカ)が並べて展示してあることです。
ゴッホの素直さ(という表現を使っていいのか?)がよくわかる。

 

そのあとは3人で中華ランチ、ぐるりと散歩、WESTでコーヒーとケーキ、ミッドタウンに戻ってぶらぶらちょっとした買い物、六本木で最後のコーヒー。
すっかり暗くなるまで。 は〜、お疲れさま!!