あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

のうのう能『巴』を観た

2010.8.27. 18:00〜 八ヶ岳能楽堂

こんないきさつから、山梨の大泉までお能を観にいきました。
お座布団に座りながら父は、「こうやって近所(父は息子の嫁から逃げ出して山梨の別荘に住み着いています)で気軽に能が観られるっていいなぁ」とか呑気をいうけれど、わたしは東京から観に来てるんですってば。

観世清正さんの表札を掲げた平屋建てのおうちの玄関から廊下を辿ると、原寸の能舞台にささやかな橋掛かり、舞台をL字に囲む畳が見所という部屋に至る。 キャパは80人くらい。 
一番前に座って手を伸ばせば、演者の裾をつかめる距離。 近い近い。
わたしたちは、脇正面に少し距離をとって座りました。

新築、じゃないよねぇ、と見上げた舞台は、実は築20年。 ぴしりと手入れが行き届いているのはさすがです。

のうのう能というのは、初心者向けの講座を含んだ公演です。(←くわしい説明の替わりにリンクしました)

8ページのパンフを見ながら、能舞台やお能そのものについての愛のこもった説明から、これから始まる作品の見どころのイラスト付ガイド。
装置や演者数が少ない分、お能には見立てが多いわけですが、ストーリーとともに前もって教えていただくことで、そのあとの観賞がとてもわかりやすくなり、楽しみどころをゆっくりと味わえました。

次に1節を全員で、声に出してみる。 ナンチャッテ謡(うたい)体験ですね。 
それっぽい声を出すためには、正座して下腹にチカラをいれて、かなり低い声を使うのだと知る。 意識的にはミュージカルで歌うのと変わんない。 たぶん、音を安定して捉え、よく響かせ、言葉の意味を世界をからだで感じる。 

そして着付け見学!! 最小限の紐で、絢爛豪華な衣裳をぴしりと着付け、髪を作る様子を拝見する。 目の前で組み立てられると、立体造形としての緊張感と美しさに対するこちらの意識が際立ちます。 ため息。
最後に、丁寧に使い込まれ、やさしい表情の面(オモテ)をつける。 鼻は右に振れていたのかなぁ。 このオモテに宿る女子の個性、があるかもしれないなと、ふと思う。 つけるオモテによって演技が変わるのではないか、とか。
もしかしたらオモテの方も、時代をめぐる様々な演者たちの過去の演技によって、作られたのではないか、とか。 そのすべての想いが、オモテのやさしさになっているような。

オモテをつけた演者は、すでに役と個人の狭間という別の存在になりかけている。

休憩を挟んで、いよいよ『巴』。

三人の囃し方の、音のこの絡み方はどうなんだ?とか、小鼓の打つ小さい音の処理はそれでいいのか?とか、始めのうちはいろいろごちゃごちゃ考えていたけれど、芝居の興がのれば、すべてはふっとぶ。
聴くためには、こちらも腹に力を据えないといけないのだなと、相対する気分になり、
武士の間で教養とされた意味に気付く。 演者だけでなく、見物にも覚悟が必要なのかもな。

幽玄能の構成は知識として知っていたけれど、
少人数のミュージカル、俗な見世物としてのかなりな洗練と感じて、ぞくぞくする。
折りしも、山の遠雷が聞こえ。 いい感じ。
※ 以下《 》内は、わたしの勝手な解釈です。

ワキ(旅の僧侶)が出てくる。 これが観客の無垢な視線。
そこに前シテ(多くの場合、地縛霊)が静かに現れ、哀しいと泣いて消える。
《ここが、スターさんの静なる魅力をみせる趣向》
狂言方(地元の人)が来て、ワキに地縛霊の起因などを説明し、夜通しの鎮魂を頼む。
《シテの衣裳替えの時間稼ぎだが、たぶんここで、哀れに心動かされる僧侶/観客という図式を成立させたいはず》
納得し、静かに幽霊の再訪を待ちわびるワキ。
夜もふけて(たぶん)、うってかわって生き生きと華やかに現れる、後シテ。 《スターさんの華やかな見せ場!》
これがあのおじさまですか?と信じられないほど、微笑みを宿してスッキリと凛々しい美女の立ち居。
しかも『巴』では、巴が義仲を演じるシーンという入れ子もあり、泣くシーンとかが微妙に演じわけされていたりする。
語られるのは、「こんなにがんばったのに無念無念」(意訳です)という泣き言。 そうか、日本人の共感が得やすいテーマはこれかぁ、とか。

あれ? 巴さん、語るだけ語ったら、いなくなった。 ショーはここで終わりでした。
鎮魂はされなかったね、いいのかな? 
いまどきの人間には、ちょっと尻切れトンボ感?がなくもない。
怨念は続くのか? 終わらぬ無情を思いやるのか?

ワキの演者さんの受け止める芝居がそれは素晴らしく。
お能では、ワキや狂言方は専門職、つまりそれだけを極めなさいという徹底、合理。
ロックバンドでいったらベースギターですかね。 ここが舞台の芯を決めるかも。

距離が近いせいか、うぁぁ、オモテ(能面)=超美女に見つめられてます感、がスゴイ。
巴の想いの乱れと一緒に、こちらも気持ちが揺さぶられ、
すとん、シーン、と終わってしまうカタルシス。

ふぅぅぅぅぅ。 おもしろかったぁ!
でも今後もこの満足を得るためには、観る側にも稽古が必要なのですね。

 

それからもうひとつ。
能面は小さいので、つけると実際の演者の顔ははみ出します。
そうか。
見たいものだけ見て、見たくないモノは「ないもの」にできる日本人の神経は、
ここにも存在したぁ。