あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『エリザベート』を観た

2010.8.14. 12・30〜 / 8.15. 13・30〜 帝国劇場

観終わって、ルドルフ役がよかったねえと連れに言ったら、え゛ー?と返される。
声と気持ちの流れの持って行き方が上手と思ったけど、とわたし。
それはそうだけど、あのダンスは致命的でしょう、と連れ。
並んで見ていても、かくも評価は変わる。

1回目を観たのは、2階席のA列センター。
2回目は、1階席の下手寄りのC列。
見え方が違うのは当然で、どちらもよかったのだけれど、
音の聞こえ方が1階の下手席は最悪。 エコーがかかり過ぎるし、陰コーラスのボリュームがトートとルドルフのメイン・デュエットを消してしまう(怒)。 前日の評価がなかったら、けちょんの感想になったかも。 
つまり座る位置によっても、かくも評価は変わる。

というわけで、
他人の感想なんてアテにはならないと、まずは大声で言っときます。
あなたの、わたしの、感想は「絶対」じゃない。
自分がそのときその場所で、作品を通して何を受け取れるか、楽しめるか、明日の自分に反射できるか。

 

とても上手に組み立てられているのであまり意識していなかったけれど、
わたしもちょっとは神経が利くようになったので、
恐ろしく緻密にフクザツに休みなく構成されている舞台の流れがよく見えました。 特に2階から。 人や道具の大掛かりな出ハケの手際よさに、どきどき。
音楽のキッカケもすんごい難しいのにね。(と、わかるようになった)
奇跡の現場に立ち会っているような感慨。

アンサンブルさん全員の声の伸びや安定感。 表情と、秘められたパワー。 集中力。
作曲家さんが、どこかのインタビューでアンサンブルを褒めていらしたように覚えているのだけれど、このことかと思う。 気持ちいいなぁ。

 

さて。

今回の新しい発見。
トート閣下の愛は、やんちゃで不器用な少年のような愛なんだってこと。 魂の愛、への憧れがあって、そこにシシィがすっぽり収まっちゃったのかな?みたいな。
もうひとつは、
長生きはしてても、たぶん肉体も精神も歳はとらないってポイント。
見た目年齢が、ある時点でシシィと逆転するわけで。
それでもシシィが大好きなトート閣下。 (ホラ、魂への愛に憧れてるから)

という設定を立てると、後半のシシィの解釈が変わっちゃうんだ。
シシィの「老い」への恐怖。 混乱や、逃げ。 が、トート閣下への気持ちと絡んでくるわけで。 若くて美しいルドルフへの態度にも ???

 

シシィは、前回の公演で涼風さんが演じたときに立ち上がりかけてたせっかくのおとなの解釈が、若いキャストになったことで立ち消えになっちゃって残念なのでした。
人生の中で女が、老いや絶望と向き合うことを突き詰めて描かれたら、ステキなのに。
なんか、立ち上がりそうなんだけれどな。
うん。 長い目で、待とう。

 

「夜のボート」を聞きながら思ったのは、
すれ違う心を描くとき、双方に熱い心がなければ成立しないのだなということで。
フランツ・ヨーゼフがどんなに熱く丁寧に歌っても、切なさや哀しさが立ち上がってこないのは。 若い女優さんには難しいのかな。
愛していると言いながら、あんたさぁ、熱心な気持ちはまぁわかんなくもないけれど、わたしの望みがどこにあるのか、なんで全然わかんないのかな〜、という苛立ちや諦めは、
女子にはスゴクありがちな憤懣やるかたない感情だと思うのだが。 
おばさんがそう思うだけなのかな。

 

2回とも、シシィはセナさんでした。
それはそれは男前で、1幕は今まで見てきたシシィの中で1番好きかも。 2幕は無難という感じかな。 

 

トートくん、15日の2幕めあたりから「仕付け糸が取れた」というか。 伸びやかになりました。

フランツくん、若いときの造形をルドルフになぞって作ってらっしゃる気がします。 血筋の歴史感みたいな繰り返しが、奥行きをつくっていますよね。