女子フィギュアが始まった。 素人な女の子たちのどきどきが伝わってきて、あ、失敗したぁ、横目で見ているわたしも、そわそわ。
何に同調しているんだか。
この数日。 自分がトロトロしている感触。
自分という皮膚の境界線があやふやになっているのか。
読んでいる本への同調が特に、ひどい。
一条ゆかりさんの『プライド』の最終巻にがーがー泣かされ、ま、これは快感。
すごいなあ。 こうまとめたかぁ。
杉浦日向子さんの江戸モノに。 暮らすということ、描くということ、江戸の粋。 現代の日本という「たが」がぱちっと弾ける。
犯罪モノのノンフィクション。 自分には考えられない肌感覚にばくばくと緊張。
日本の日常の紙一重の向こうで、こんなひどいことが、流され、埋もれている。
『鳥』(←ヒッチコックの映画の原作)の読後は、作家の筆にまんまと乗せられて、どうしよう。 部屋から出られない!という感覚に包み込まれる。
去年の暮れに、ワーキング・プアをテーマにミュージカルを一本書いて、公募に投稿した。
方向や骨格は間違っていないと思うけれど、書ききれない、届かない、という苛立ち。 諦め。
その中でとにかく書きあげることだけが、そのときの、せめてもの、自分の課題。 情けないけど。 評価してもらうとか、感動してもらいたいとか、全然それどころじゃなくて。
その答えが、ようやく見え始めた。 今頃。
その答えに指が届くまで、
今の身体にしなければならなかったの?という感じがある。
去年の暮れの身体では、その答えに届かなかった。