あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

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『アイ・アム・マイ・オウン・ワイフ』を観た

2010.2.10. 19:00〜 吉祥寺シアター / 燐光群

ナチスの時代と共産主義の時代の東ドイツで、服装倒錯・同性愛者として生き抜いた「女性」をアメリカの作家ダグ・ライト本人のインタビューという形で構成。
本来、ひとり芝居であるテキストを、16人の燐光群の役者さんが演じてました。 
16人の老若男女が全身黒でローウェスト、ミディ丈のスカート。 素足にローヒールの黒靴。 そして真珠のネックレス。 そんな服の大柄な青年に、一瞬ぎょっとはするのですが、すべるように歩く様子になんとなく、似合うなキレイだなと思わされてしまう。

吉祥寺シアターの座席を取っ払い、入り口は1階。 
入ると暗い体育館のようなホールの中に、大きく区切られた舞台。 当時のキャバレーをイメージさせるような丸テーブルがL字に並び、其々に木製アンティークな椅子が4脚ずつ配されてました。 そこが客席。 テーブルには写真立て。 確か、シャーロッテの少年時代の写真ですよと、同じテーブルを囲んだ方が片言の日本語で教えてくださり、
そして、ふぁっと芝居は始まる。

ひとりでしゃべるはずの台詞を16人が分担してしまうと、やはり祈りがどこか散漫となってしまう印象で。
もっとも、逆に、シャーロッテという実在の人物の生き様というより、社会の陰に潜む大勢のマイノリティの祈りが、反響して、和しているという印象も。

この禁欲的な装置と空間の高さの中で、個々の役者さんの存在感や技術の差が際立ってしまう残酷も感じる。
いや、わたしが大好きな燐光群の役者さんたちにしては、芝居が「練れて」いなかったのか、というべきか。 それとも天井の高さのせいなのか。
椅子を使った魅力的な振り付けシーンもある。 
けれど、同じ動作を振付家の矢内原美邦さんが演じたら、きっととてもチャーミングで言葉を持ったと思うけれど、どうやら「ダンスするからだ」「ダンスを通して言葉を持てるからだ」というのもあるらしく、役者さんが演じても振り付けにしか見えないんだなと思う。
むずかしい。

そうそう、
大ベテランの女優さんが、しゃっきりとアンサンブルに徹しているかっこよさ。 見惚れた。 姿勢や、ストールの使い方や。 
舞台で存在するということは、人間としてのその方の厳しさ、存在感なのかな、とか考える。
発する単語の持つ、しっとりとした重さ。

 

作家ダグ・ライトはインタビューを重ねるうち、他からも知らされる情報と、かの女の魅力的な話の内容とのズレに、何が本当で何が嘘か混乱し始める。 でも、かの女という人間を信じたいという決意。 それは人間に対する信頼、愛。

昔、『AV女優』という本を読んだ。 タイトルどおり、AV女優たちのインタビューを雑誌連載し、その総集編。 初期の頃のインタビューには悲壮感とか真摯とか、それは鮮烈な印象があるのだが、
連載が進むうち、女の子たちのPR・売り込みの場にとって変わるのが感じられる。
だが、インタビュアーは態度を変えない。 見え見えの嘘を丁寧に受けとめ、感心する。
読みながら、小娘に騙されてんのがわかんないのか?というイラつきが、
いや、この人は気付いているんだ、と見えてくる。
人間たちを愛するということは、そういうことなんだと、ライターに感動する。

 

芝居のテキストを書くということも、また。
その作家の人間としてのストイック、存在感が投影されるのかな、と、考える。
発する単語が、しっとりとした人間の重さを、持つだろうか。 わたしを通して。
とても、怖い。

人間として、強くなりたいと思う。 あたたかく、なりたい。