以前、とある方と、わたしに演出が出来る出来ないの話になって、
では演出家のすべき作業とは何だろう、と話題は流れ、
そう言えば、演出家のマニュアル(明確な責任分担)ってないよね、と、なり、
だから世の中には思い違いな演劇が多いんだ、で話が落ち着いた。
先日、某研修システムの説明会で、
制作の仕事にもマニュアルがない、と話題になっていて。
いろいろ立ち遅れる日本演劇界!!と言われるけれど、早急な手当てはその辺からか?とか。
わたしの頭がそういう仕組みであったせいか、以下の感想になりました。
うん。 嘘をつきたくない相手も、参加してらしたし、ね。
すみません。 莫迦正直。
2010.1.14. 13:00〜 青山劇場
そういえば、今年の初観劇です。
朝のコーヒーを啜りながら某ブログを読んでいて、来いと言われてる気がしはじめ、そわそわと当日券のマチネを目指す。
宮益坂を登りながら、たぶんわたしを待っているチケットがあると、根拠のない自信。
でも、ホラね。
前から9番目のセンターブロック。 ちなみに青山劇場の特等席は、フロアがステップに変わる1段目のD列です。 そこ。
開演前、することもないので客席に座って目を閉じる。
あれ?
なんだ? この残響感。 周囲のおしゃべりがクリアに届き、遠いざわめきは天井付近で溶け合って。 やわらかな雑音にくるまれた感じが、むちゃ心地いい。
ステキだ。
客席通路のピンクの絨毯が、無残に擦り切れているのは、貫禄というのか不景気というのか、微妙。
ロイド=ウェバーという作曲家が、『キャッツ』で見出したサラ・Bという新人女優に惚れこみ、美しいソプラノのかの女のために『オペラ座の怪人』という大傑作を書き、そのNY公演で浮気され、スランプになり、その後。 大金持ちにはなったし(領地の一角に普通の教会があるらしい)、別の女性と幸せにもなったが、才能は鈍くなった、ともっぱらの噂。
いや、でも、さすがというか。 ベタなハッタリは薄れたかもしれないけれど、流石な構成、美しいメロディ。 ときどき身震い。
訳詩がすばらしく自然にメロディに乗っている。
ミュージカルによっては、この作曲家は楽器を使って作曲してるんだろうなと感じるけれど、たぶんこの人は自分で歌いながら作曲してるんだろうなあ、とか。 (知らないけど、たぶん!)
結集している才能(キャスト・スタッフ)は素晴らしいと思う。
状況の中で120パーセント頑張ってるな、と。
それはわかるんだ。
だから。
せっかくの集結が、作品としてもう1歩、チカラを持つためには、
演出さんと制作さんの頑張りがチト足りないのかな、と感じる。
役者が自身ではチョット気付けないけど(この場合、気付けないことは役者の責任ではない)、ここでちょっと突付いてやれば、すごくよくなるのに、という箇所が多くて。
稽古日数とか、ゲネとか。 もう少し欲しかったりしてない?と、何となく感じるし。
美術が、ねえ。
構造上、シーンが多いから。 予算の中で、やりたいプラン(装置数)は削らずに、装置の仕上げ度で予算を調節しましたか?という印象で。
もう少し、違うプランに組みかえられなかったのか?
そういえば、ピンマイクのONが1秒遅れるシーンが数箇所あったな。
オペレーターが弛んでいるのか、回線が少ないせいかは知らないけど。
まぁ、個人的には。
光枝さんの張りのある生声が一瞬聞けたので、うはぁ♡♡でしたが。
一幕は、いろんな意味で平面的で。
客席が拍手しないなぁと思っていたが、さすがにここではという箇所で引っ張ってみたら、なんだ、みんな、拍手したかったんじゃないの、という感じで。
舞台の上の大熱演が、客席を巻き込んでなかったのかな。
おおおっと思ったのは、
二幕の半ば、岡さんがご自分中心の見せ場で一呼吸したら、
あ、客席を一瞬で舞台に引き込んだ!
そのあとは、玲奈さんとの掛け合いもステキで、笑いが起こり、拍手も存分に起こり。
ねえ・・・・・・???
テキストは思っていた以上によかったです。
ひとつ、絶対的な大謎が手付かずなんだが。 最後までなんで?で終わっちゃったよ!
テキストはいじれないだろうけれど、フォスコさんをいじれば、その辺を匂わせる感じで描けそうなんだがな。
と、これはまぁ、わたしの趣味。
で、これは、ゴシックホラーなんだよね。
もっともっとリピーター好みの世界観にもっていけるはずだし。
その前に、ちらしや煽り文句の作りかたから、的外れだし。
もったいない。 もっと育てられるぞ、この作品。
あと、見渡す客年齢が、かなり高かった。(自分が言うなって?)
続く世代を育てないとヤバイっしょ、とマジ思った。
おお。 久しぶりに長文、書いたな。 おしまい。