あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『PQ』の6回目

チケットはあと2枚か〜。あっという間だなあ。 溜め息 =3
1枚はe+で取った、通常の予約前に押さえたのによくないって席番。
ただ、最近トーホーで買うチケットは情報を関係者に垂れ流しにされているようなので。
なんとかここで楽しめないかなぁ、と……[E:bleah]

2009.12.15. 08・15〜 帝国劇場 

まず、今回の普通向け(?)の感想は。
オケの作る音楽の表情がいよいよ豊かになってきて、大きな海のうねりを思わせるような気がしています。
それにしても雄弁なメロディだなぁと思い、ミュージカルでの楽器たちの持つ役割の理想的なバランスというのか、楽器の会話を含めた発言力というのか。 美しいなぁと思っています。
舞台が暗いとき、オレンジの明かりが洩れるオケ・エリアが静かで温かい夜景のように見えるのが、とても象徴的です。 

 

そして。
観ながら考えていたのは、ミュージカルを演じる「からだ」のあり方について。 演じ方って言い方でいいのかもしれないけど、自分が演じる経験がないので使い辛い。

辺見庸の本なんかを読んでる最中で、しかもいちいち、そうかなぁ?と足踏みして考え込んでるので。 頭が今、分析モードになっている、かも。 たいした分析ではないのですが、わたしには楽しかったから。

ミュージカルの演じ方には二通りあるのかな、と思う。

ひとつは、わかりやすく、単純まっすぐに歌い上げるように、表現するタイプの役者さん。 えーと、宮廷の取り巻きサンたちの演技が代表するような。 TVドラマの演技もこっちタイプが多いのかな。 テーマパーク的なわくわくする楽しさ。 いかにもミュージカル的だし、韓流ドラマ流行以降、客の要求はとにかく「ここ」にあるのかな、とも思う。
うん。
ただしわたしの感覚だと、それだけでいいの?と感じてしまうわけだけど。 でもそれは、あくまでもわたしの感覚。 正解とは限らない。 ミュージカルで楽しませるってことが何なのか、どうすべきなのか、今のわたしにはつかみどころがないので。

もうひとつは、人間の中にある気持ちのゆらぎを大切にしているタイプの役者さん。
表現するというより、からだの細胞を使って再現するというのか、探求し続けているというのか。
ただ、全員がこのタイプでのミュージカルだと……空気が、いわゆるミュージカルにはならなくなっちゃうのかな?とか。

ミュージカルには音楽があるので。
わかりやすい演技だけでも、メロディが気持ちの襞を補充してくれるし。
特にシェーンベルグの哀調は、楽器が歌うだけで巻き込まれてしまうし。

さっきふと、思い出したのは。
稽古場で浅利慶太さんがおっしゃっていた言葉で。 群集のキャスティングをするとき、若手だけだと存在感がでないけれど、その中にベテランをひとり混ぜると、その人が何もしゃべらなくても群集になる(群集としての意思・意味を持つ?)のだって。
ここでいう若手とベテランというのが、今回感じた2通りのタイプに通じる気がして。

そうすると、ひとつのミュージカルの舞台のバランスというのか、カラーというのか。
役者さんたちのタイプの配置とか分量とか。
そして楽器の、メロディの、控える場所と飛び出て語る場所と。

それら全部のハーモニーのことをミュージカルというのかと、
ごめんなさい。 ミュージカルと出会って40年たつ今さらに、この指ですくい取ったのでした。