あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

「ココ・スマイル5」を観たよ!

                2007/8/25 12・30〜 スペース・ゼロ/ジョーズカンパニー

って、
タイトルの書き方が、いつもとチョット違うのに気がついた?
脚本・作詞のいくちゃんの文体はねえ、この「〜だよ!」の使い方がすっごくステキなのだ。 フレンドリーで元気をわけてくれるような言い回しになるの。
 
いよちゃんの劇団(PPP)もそうだけれど、ここはもっと少女たちが出演しているので、オタくんたちのチェックポイントなんだって。 だから劇場で会ったちょーふ(これも戯曲セミナー友だち)に、大丈夫? 間違えられてないかい?と声かけちゃったよ。
明日は大集合なんだよ。 劇場前に交番があるから、ちょっと安心だけれど、とは、終演後に聞いた主催者のジョージさんの言葉。

でー、内容についてなんだが、
少女たちが一生懸命に上手に歌って踊って、話もちゃんとしているし、
内容は確かに正論だし、
わたしの隣の席の方はぐしゅぐしゅに泣いていたし、
最後の拍手も、それは感動の熱気がこもっていたし、正しい作品なんだと思う。

うん。 それでもわたしは、
こーいうのはムズカシイなあと思ってみていた。
どうしよう、いくちゃんには何をどう、言えばいいのかな。
とりあえず、「おもしろかったよ〜♪」。 そのあとだ、どうしよう。

いくちゃんの書くものって、セミナーの課題とかも読ませてもらったけれど、あったかくて上手なんだよ。
まあだから、逆に安心して、あえて言わせてもらおうとか思うのかな。
あと、いくちゃんには絶対に、嘘をつきたくない。 
わたしの戯曲に丁寧で正確な講評をくれたし。

それに、こういうのを書きたいの。 好きなの。 って思うのなら、わたしが口出しすることじゃないよね。 単にわたしの趣味とは違うってことで。
だからこれは、あくまでも、わたしの、趣味。

「学校に縛られるのは、嫌」「個性を大切にしようよ」ということがテーマのひとつとして扱われている。 それは確かに大切なこと。 守らなければいけないこと。
だけど、世間に塩もみされてきたオバサンは思うよ。

何のために学校は、組織(ムラ)で生活するルールを教えようとするのか、考えようよ。 必要だから、なんだよ。 だから何故必要か、そこも書こうよ、と思う。 無駄をはぶく方法論(コスト感覚)を必要悪と呼んでもいい。 でも必要なんだよ、社会では。

うん、ヒトの個性は大切なんだけれどね。
その1 個性を伸ばす教育を受けたわたしは、実社会で、組織・集団に寄り添えるようになるまで、それはたくさん嫌な嫌な思いと苦労をしなければならなかった。 そういうことだよ。 だからそこも書こうよ。

その2 みんなと同じ振り付けをそろえて、ひとつの舞台を踊る。 それは個性を抑えて組織をつくることの意味に近いんだよ。 と自己矛盾を感じないかな?

その3 あえて言うけれど、個性をろくに持っていないのに、豊かな個性があるはずなんて教えるから、自分探しなんてちぐはぐな悩みを持つオトナやコドモが出てくるんだと思う。 個性をつぶすのは確かにしてはいけないこと。 
でもね、個性っていうのは、つぶされても起き上がってくるもののことを指すと思う。 
もっと言葉を選ばないと、誤解を生むかな?
容量の違うことを個性と呼ぶのなら、それをひとくくりに語るのは辛いし、相手に対する向かい方は、みんなで一緒にがんばろーよ!おー!じゃなくて、もっとデリケートになるべきじゃないかな。

ただね、

生き生きと舞台の上に存在しているコドモたちを見ていると、
教育の現場の中では、嘘も必要なのかな?と思えてくる。
生きていくための夢や勇気という、嘘。

 

終演後、
ねえねえ、あそこの振り付けはトモコさん? と尋ねてみる。 
そうでしょ。 少し古風だけれど、華があって見栄えがいい。
みんなほど踊れない小さな子には、振りを少し飛ばしたり動きを省略したりして、ちゃんと揃って踊れるように振付けてあるの。 

こーいうミュージカルを見るの、久しぶりなんだよねえとジョージさんに言う。
「いいでしょ、やっぱり」と明るく言われて、思わず、そうだねえとうなずく。