あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

価値観

劇作家見習いの頭が、
お話組み立てモードになっているので、
先日、観てきた舞台のキャラクターが、勝手に別の方向に立ち上がってきたりしてます。

カリオくんって、平然と人を殺しておいて、でもその最中に踏みにじられた足元の花を
ひざまずいて悼んだりしそうかな、とか。
ボーちゃんは真逆の性格だろうから、そんなカリオを実はスゴク嫌悪しているとか。
でもお金と目的のために、ふたりは (^v^)bd(^v^) 仲良し!

両方とも自分の方がボスでフィクサーで、相手は自分がいなきゃダメだと思っていて。
さて、そんなふたりが共通の事件/女/人情 にぶつかると……? 

価値観が違ったって、損得勘定の計算がちゃんとできれば、人間関係のバランスはとれるよね。

この辺まで考えると、もの書きは設定を変えます。
そのキャラ設定で、新撰組とか西部劇とかで、なんか描けないかな〜。
すると、
まったく新しいお話が立ち上がってくる、というわけです。 が。

 

今日、書きたいのは違う話。
この数日、心が痛いのは、たかだか単位をもらえないという理由で(だとされて)、入水してしまった女子学生のこと。
誰だって、今どき、死ぬ理由がそれ(単位)だけのはずない!と思いましたよね。 
弟のブログから始まってあちこちを読むと、どうやらN准教授とかはかなりくだらない人間のようで。 遊ばれちゃった?というのが、わたしの腑に落ちるイメージですが……、真相はどうなんだか。
(かの女の名誉を考えると、あまり軽々しく言ってはいけないわね)

理由はともかく、
若い女の子らしい思い込みに縛られちゃったのね というのが、わたしには痛ましいのです。
学問であれ、単位というシステムであれ、恋愛であれ、人間関係(いやがらせ)であれ、
もう少し視野が広ければ、
どんなものも価値は単一ではないと気付けば、
「こんなことに振り回されるなんて、ばかばかしい」と思い至ることができれば。
でも、若いとそれが難しいんだよね。
だとしたら、友人たちが、他の世代が、ちょっとどうにかできないのかな。

また、
Nは前にいた大学でも同じような問題を起こしてクビになっているのに、
どうしてここでも准教授という、ある意味権力者の立場でいられたのかがわからない。
知らない振りをするのが得意な、事なかれ主義な人。
寛大であることを、勘違いして酔う人。
日本人は「反省(?)」した人間は許すべきだと刷り込まれているけれど、
Nを野放しにしていたことは、仕方のないことなのかな。
人間は、裏切られ続けても、まだソレを信じ続けるべきなのかな。
わからない。

女の子がひとり、コロされた。
それもたかだか、よくある青春の悲哀のワンシーンにすぎないのかな。
わからない。

ピュアであることは正しいのかな。
生き延びるための損得勘定/バランスの取り方 を、身につけさせたほうが大切だったりはしない?
生きることとは、悲劇ではなく喜劇だと。
でも、
自分の子どもはヒネずに、ピュアに育ってほしいと願うものかな。

……わからない……。