(暦の不思議。毎年、カレンダーを9月にめくると、夏に果ててた体調が復活する)
朝の山手線、内回り。 東の縁を回る頃は、シートが半分はあくほど電車は空く。 今朝、有楽町を出たところで、急停車した。 うつらと眠りながら、待つ。 待つ。 もう少し時間がかかるようなら、会社に携帯でメールいれなきゃと思う頃、前を走る電車の確認・点検終了と動き出す。
10メートルほど離れた通路の連結器のあたりで、おじさんが立ちはだかり、何かを叫ぶ。 「オレは犯罪者なんだ。だが捕まるもんか」とかなんとか。 首が不自然に傾いている。 イヤだなとか思いながら、でも遠くだしね、ちらと見て、目を閉じる。
声が、近づいてくる。 「オレは犯罪者だ。 オレを捕まえるために警察が電車を止めたのかと思ったが、違ったようだ。 もしそうだったら、オレは窓ガラスをぶち破って逃げたであろう。 だが、違った。 よかった。 犯罪者というものは……」
ぶんと酒が匂い、思わず顔をあげ、目が、合ってしまった……!
突っ込まれる前に、わたしはいかにも眠そうな表情をつくって、かっきりとかれを無視し、目を閉じた。 男はしばらく語り続けたが、わたしに相手にされないまま、言葉を途中で切り、歩き出した。
うつらと目を閉じ、からだを自然に揺らす振りをしながら、わたしは神経をぴんと立てている。 匂いや声からの、距離。 万が一近づいたら、戦闘開始だ。 だが、やり過ごせたようかな。
「酒の匂い」 わたしはこれに頼って、安心しようしているなあと思う。 酔っ払いじゃん。 異常者じゃないよ。 ……根拠になんのか、それ? まあ、とりあえず行き過ぎたし。
声が戻ってくる。 「……そしてわたしは、青木が原の樹海で首をくくるでありましょう。 おとうさん、おかあさん。 思えばあの頃が一番、幸せでした」 男は悲痛に語りながら、通り過ぎていく。
(性格の悪いわたしは)片目を開けて、向かいのシートの若い客たちの反応を観察している。 完全無視。 (わたしもだけれど) おそらく誰かにかまってもらいたいのであろう男を、両側の人間たちはいないものとして意識している。 まっすぐの通路。 電車のやわらかな振動。