あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

在宅介護はじめました-7 入院-1

入院中の様子を書くのを躊躇している。

 

コロナ禍による医療崩壊のとばっちりを受けたのだとは思う。それとまあ、地方医療の意識の格差?

誰かを悪くいうつもりはなく、あったことをフラットに書こうと思うけれど、あっけにとられたことや、軽い怒りが、いくつもあったのは、事実だ。

 

 

 

医療崩壊」が具体的にどんなことなのか、マスコミはもっと取り上げればいいのに。と思う。なぜ、話題にしないのだろう。

ナニカを責めるためでなく、事実を公にして、みんなで考えるために。

父のような、ある意味「被害」は、きっとほかにもたくさんあるはず。

 

 

最初は、東京の病院に連れていく選択も考えた。わたしの生活の拠点が東京なのだから、そのほうがいろいろと楽だ。

だが父は別荘に20年間住み着いていたわけで。だったらここが終焉の地なのだろうなとも。東京より医療レベルが落ちたとしても、そこは受け入れよう。

 

 

 

さて。入院が決まった時の様子を。

 

内科の外来受診で、エコーを撮ったら大量の尿が排出されていないことがわかり、尿道カテーテルを入れたら、1200cc出てきた。おとうさん、すっきりした? 病院に来た時よりも体重が1キロ以上軽くなっちゃったね。袋に溜まる尿の捨て方をレクチャーされ、これは今後、自宅でもできますからね。はいはい。

ただ同時に脱水症状も起こしているので、今日は点滴が必要です。これは自宅では無理なので、今日は入院しましょうと。

 

ねえ、こんな説明だったから、そのときは1日2日の入院だと思ったわよ。

 

少し前に友人の入院につきあったからね、入院手続きは慣れたもので。

 

ナースステーションへの父の病状等の伝わり方が、少し曖昧なのが気になったが、そこはたぶんわたしが気にしすぎるタチなだけだから、よね。

 

 

在宅介護はじめました-6

ブログの流れを分断しちゃうけど、今週は怒涛の日々でしたので書いておきたい。

そして父が心身とも激変したおはなし。

 

4/5(月)

・在宅医療の先生がご提案・貸出してくださってた歩行器の使い勝手がとてもよかったので、あらためて業者さんから同じタイプのをお借りし、父の身長にあわせて調節していただく。

夜中に家の中を歩き回るにしても、安定したので、わたしがつきっきりでいる必要はなくなり、好きなだけ歩かせることにする。(様子を見て介助する)

・介護認定のため市の職員さんがいらして面接。これについてはいずれまた書くけれど、聞き取りされた内容から日常の反省点が浮かび上がる。無意識のうちに入院の延長の気持ちでいたので、父はずっとパジャマで過ごしていたし、口内ケアもずさんなままで許してたの。ごめんなさい。

というわけで、食後は薄めたリステリンでぶくぶくさせる。夕飯後は入れ歯の洗浄。

 

4/6(火)

デイケアで入浴。

・帰宅後、ズボンだけわたしのトレーナーに履き替えて(上はコート来ちゃうからそのまま)、車で花見に出かける。

清春美術館近くのスポット。父は歩行器で歩きたがったが、倒れたときの手間を考えて車椅子に乗せる。ちなみにわたしは病院などでボランティアをしているので、車椅子の操作がめっちゃ上手なのです。

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近くではこんな風景も! こいのぼり久しぶりに見たよ。

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パジャマ以外の服を着たこと。車椅子で散歩したこと。外で冷たいカフェオレを飲んだこと。太陽光をたくさん浴びたこと。

このへんが父に刺激を与え、自意識を少し呼び戻したらしい。

結果、

・これ以降、夜に起き出す回数が少なくなったきた。

・逆に妙な自意識が活発化?して、夜中、半年前に処方してもらったという下剤を勝手に飲むという暴挙に出て、わたしとケンカになる。知らないその薬を検索したら、現在の父にあってはならない副作用が列挙されてて、焦る。(薬が入っていた箱は隠しました)

 

4/7(水)

・マイナカードの住所変更しに市役所に行く予定でいたけれど、夕べ飲んだ下剤がどう反応を起こすかわからないので、自宅で過ごす。出先で急におなかが痛いと言われても対処できる自信ないし。結局、なにもなかったけど。

ちなみに父は、市役所にいく予定だったことも、勝手に下剤を飲んだことも覚えていない様子。

 

4/8(木)

・介護サービスを使って、父、はじめてのお泊り。連絡ノートには、食事や夜中に起きた時の対処など習慣についてを箇条書きにする。

・わたしはしばらく保留にしていた歯医者の治療のために一泊だけ帰京。

・数日前までは、車で一緒に東京に行って、わたしの家に泊まるとごねていたが、いつの間には覚悟をきめてくれた、らしい。(もしくはごねたことを忘れた)

・二子玉のユニクロで、父の外出用に腰ゴムのパンツを2本購入。

・地元の三茶でうろうろと買い物してたら、友人とぱったり。ささやかなおしゃべり。あ~心が洗われたよ~ 

・そしてわたしは3週間ぶりに、起こされることなくぐっすり眠れる!と期待してたのだが、夜中に胃炎を起こして結局は目覚めた。はああ。ま、胃炎を起こせるくらいはリラックスできたらしい?

 

4/9(金)

・高速バスの降り口にとめておいた車でそのまま、介護サービスのおうちに迎えに行く。父は外面がいいので「ふつうの人」としてふるまっていた。

他人と暮らすことは、人としての自意識を刺激するのかも。

・帰りにあっちの道から帰ると指さすので、清泉寮のソフトクリーム食べていく?と訊く。ひとつは食べられないというので、ふたりでシェア。

・なんとなく、会話っぽい会話ができるようになってきた。

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4/10(土)

ツイッターの流れで龍岸寺(真田信伊の墓所)を知り、車で向かう。夢のような風景のお寺でした。車には車椅子と歩行器を積んであるが、父は杖で歩くという。

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歩数計みたら600歩くらいだったけどね。

↓↓ 三色すみれ

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↓↓ 父に歩めるはずもなく、墓所までお参りはできなかった。遠くから心の中で、以前、信伊公を演じた友人の活躍を念じる。

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夕飯には、うどんを食べたいと言い出した。大丈夫? 食べられる?

退院(3/18)直後、父は言葉と右手が不自由と化し、なにも持てなくなってたし、なんなら入院直後(3/5)にはスッカリ呆けて無反応だった日もあって。

それが右手にお箸をもって、たどたどしくも自分でうどんを食べました。

 

ひっそりと感動。

 

在宅介護はじめました-5 入院以前-2

父ひとりで入浴中、お風呂場で大きな音がして、「どしたぁ?」と覗きに行ったら、素っ裸で白目をむいてひっくり返っていました。

 

呼びかけながら、まず呼吸していることを確認し、次には手を握りながら「握り返して」と呼びかけると握り返してきて、

あー実の父親に、このお約束な呼びかけをしてるんだなあと心のどこかで思いながら、

脱衣所に椅子を持ち込んで、時間をかけて座らせました。(わたしの腰はこのへんからたいへなことになっていきます)

タオルがタオルがと繰り返すので、タオルを腰に掛けたのですが、止まず、どうやら本人はパンツのことを指してたようでした。

 

呑気にも、湯あたりだとそのときは考え、そのあとも痛いとか気持ち悪いとかはないようだし、ってことは頭は打たなかったみたい? 食欲もあったので、様子見することにしました。

 

たださすがに、わたしの東京の歯医者の予約はキャンセル。

 

次の日の夕方、スーパーで。

買い物を済ませ、ショッピングカートを戻しにいって、からだをねじった拍子にころりんとひっくり返りました。上手?に転んで頭は打ってなかったけれど、

 

二日続いたので、次の日病院につれていきました。

 

 

病院では迷った挙句、内科を選択しましたが、「最近転びやすい、考えがまとまりにくい」という問診票の書き込みに、受付の方が脳神経外科に変更しませんか?とアドバイスしてくださり。

でも診察時、先生は最初、脳震盪ぐらいでここにこられてもねえ的な対応でした。

ホラ、この動作やこの動作ができるということは脳梗塞ではないですよ、と。

ただ認知テストがよろしくなく。

 

念のためにとCTを撮ったら、層になった脳血腫が発覚しました。層になってるってことは、おとうさん何度も転んで脳内出血してた可能性がありますね。

ただ、高齢ゆえの脳の萎縮があるので、血腫が脳を圧迫している可能性は低いというお見立てでした。

それより、腎機能が落ちているので老廃物が脳に溜まっているのが原因と考えたほうがいいでしょう。(カルテはネットワークで共有され、以前のほかの先生の診断も読めるのです)内科の先生には今日の診断をメールで知らせておきますね、とのことでした。

 

さて。手術して血腫を抜く選択と、漢方薬で血腫を溶かして流す選択があるとのことで(年齢的にそっちのほうが安心でしょう?)、漢方をお願いすることになりました。

西洋医学を修めた医師でも最近は漢方や鍼灸などの東洋医学を併用する方がいて、この柔軟性ってとても好ましいとわたしは思っています。

 

 

 

次の週。以前から担当していた内科の先生から、前立腺肥大の影響で腎臓がかなり悪いことを告げられました。

でも家族を呼ぶほどではなかった判断だったってことですね?とは、訊かなかったです。

 

 

それでも生活はなんとか自立していたので、一晩くらいは父もひとりでお留守番できそうだなと、

わたしは歯医者を再開しました。

一回だけ行って、またキャンセルすることに、なるのですけれどね。

 

在宅介護はじめました-4 入院以前

父、94歳。

 

3月に18日間の入院、その直後4日間で救急2回、からの在宅介護、の現在。

誕生月である今年1月まで車の運転をしてましたよ。なんなら高齢者ドライバーテストも合格してた。

 

 

去年の暮あたり。わたしがひどい捻挫をして、八ヶ岳の家に来ても散歩に連れ出せなくなったあたりから。足が異様にむくんできたので、病院から「からだから水を出す薬」をもらったとか言っていたが、日常生活は自立してました。

えーと一緒に病院に行く?と訊いても、ひとりで大丈夫っていうから。うん。このへんは強制的に付き添っていけばよかったよなというのが、今さらの反省ではあります。

 

 

はい、コロナ禍でしたが、わたしは月に数度、東京から八ヶ岳に通っていました。まずそのへんの考え方から。

 

世の中は、高齢者には「安全のために近寄らないのが正解」という傾向でしたが、わたしはそう考えていませんでした。

優先順位の問題。父の心身のぼやけ方(フレイル)の予防のほうが、わたしには上位でした。

 

基本、一人暮らし(できてない家事があっても怒らない)で、ときどきわたしが訪れるくらいのほうがバランスがよい。囲碁や映像編集など、地元のご友人との交流があれば頭はクリアですが、たまたま日々の交流がないとぼやける傾向が顕著で。でも、わたしとしゃべるとか一緒に映画やアニメをみることで、もとに戻る。

あと、簡単なストレッチ。散歩をいやがるようになっても、腰を伸ばして内臓の位置を調整するのと、下半身の血流を促進する2種類。これだけでもずいぶん違いました。

 

介護などは不要不急ではないと、百合子さんも言ってましたしね。大声で言うことではないのでひっそりと、種々の注意事項を気にしながら、わたしは東京山梨間の移動をしてました。

 

 

おかげで、え~94歳なんですか?と言っていただける、元気な高齢者でいられたのだと思います。

 

 

でも、

2月に入ったあたりで、急激に心身が不安定になってきましたので、わたしもしばらく八ヶ岳の家で暮らすことにしました。

 

ミュージカル『アリージャンス』の解説コミックですが、1・2回めと3回めで、微妙に色味の強さが違うのは、PCが違うからです。3回めのは八ヶ岳の家で作業。本人にしかわからない程度ですけどね。

 

 

そして、2日続けて父が大きく転び、

翌2日19日、病院に連れていくことになります。

 

 

在宅介護はじめました-3

ふと気づくと、自分は父とふたりだけで八ヶ岳の別荘にずっとこもっている状態なのだ。考えようによっては、精神があやうい状況に陥ってるのかも?とか。

 

気づくまで気づかなかったのは、自分のもともとの引きこもり資質もあるけれど、

SNSなどで友人らと微かなやりとりがあるし、

プライムやWOWOWで映画やアニメが観放題だし、(今は『進撃の巨人』を少しずつ観てます)

配信も助かった。大駱駝艦の『まだら』。松田さんらしくてよかったな。『日本人のへそ』は楽しみだったのに、チケットを買いそびれちゃったの。残念。

本や雑誌は思ったより、読んでないけど。

 

 

メンタルの追い詰められ感は、ない。――まだ。

 

 

父が入院してたとき、合間を縫ってミュージカルのマチ・ソワを観に東京に帰った。これがもう、エモくて温かくて幸せだった。

(加藤くん、濱田さん、笑顔をありがとうございました!)

あきらかに今までとは違う「救い」だった。世の人にとってのミュージカルとはなにか?に、ほんの少しふれられた気がしたのよ。

 

 

在宅介護サービスにも少し慣れてきたので、少しずつ自分の生活も始めたいと思ってます。

父をお泊りで預かってもらい、

歯医者も再開。ついでに舞台も観たい。来週から。