あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

在宅介護はじめました-5 入院以前-2

父ひとりで入浴中、お風呂場で大きな音がして、「どしたぁ?」と覗きに行ったら、素っ裸で白目をむいてひっくり返っていました。

 

呼びかけながら、まず呼吸していることを確認し、次には手を握りながら「握り返して」と呼びかけると握り返してきて、

あー実の父親に、このお約束な呼びかけをしてるんだなあと心のどこかで思いながら、

脱衣所に椅子を持ち込んで、時間をかけて座らせました。(わたしの腰はこのへんからたいへなことになっていきます)

タオルがタオルがと繰り返すので、タオルを腰に掛けたのですが、止まず、どうやら本人はパンツのことを指してたようでした。

 

呑気にも、湯あたりだとそのときは考え、そのあとも痛いとか気持ち悪いとかはないようだし、ってことは頭は打たなかったみたい? 食欲もあったので、様子見することにしました。

 

たださすがに、わたしの東京の歯医者の予約はキャンセル。

 

次の日の夕方、スーパーで。

買い物を済ませ、ショッピングカートを戻しにいって、からだをねじった拍子にころりんとひっくり返りました。上手?に転んで頭は打ってなかったけれど、

 

二日続いたので、次の日病院につれていきました。

 

 

病院では迷った挙句、内科を選択しましたが、「最近転びやすい、考えがまとまりにくい」という問診票の書き込みに、受付の方が脳神経外科に変更しませんか?とアドバイスしてくださり。

でも診察時、先生は最初、脳震盪ぐらいでここにこられてもねえ的な対応でした。

ホラ、この動作やこの動作ができるということは脳梗塞ではないですよ、と。

ただ認知テストがよろしくなく。

 

念のためにとCTを撮ったら、層になった脳血腫が発覚しました。層になってるってことは、おとうさん何度も転んで脳内出血してた可能性がありますね。

ただ、高齢ゆえの脳の萎縮があるので、血腫が脳を圧迫している可能性は低いというお見立てでした。

それより、腎機能が落ちているので老廃物が脳に溜まっているのが原因と考えたほうがいいでしょう。(カルテはネットワークで共有され、以前のほかの先生の診断も読めるのです)内科の先生には今日の診断をメールで知らせておきますね、とのことでした。

 

さて。手術して血腫を抜く選択と、漢方薬で血腫を溶かして流す選択があるとのことで(年齢的にそっちのほうが安心でしょう?)、漢方をお願いすることになりました。

西洋医学を修めた医師でも最近は漢方や鍼灸などの東洋医学を併用する方がいて、この柔軟性ってとても好ましいとわたしは思っています。

 

 

 

次の週。以前から担当していた内科の先生から、前立腺肥大の影響で腎臓がかなり悪いことを告げられました。

でも家族を呼ぶほどではなかった判断だったってことですね?とは、訊かなかったです。

 

 

それでも生活はなんとか自立していたので、一晩くらいは父もひとりでお留守番できそうだなと、

わたしは歯医者を再開しました。

一回だけ行って、またキャンセルすることに、なるのですけれどね。

 

在宅介護はじめました-4 入院以前

父、94歳。

 

3月に18日間の入院、その直後4日間で救急2回、からの在宅介護、の現在。

誕生月である今年1月まで車の運転をしてましたよ。なんなら高齢者ドライバーテストも合格してた。

 

 

去年の暮あたり。わたしがひどい捻挫をして、八ヶ岳の家に来ても散歩に連れ出せなくなったあたりから。足が異様にむくんできたので、病院から「からだから水を出す薬」をもらったとか言っていたが、日常生活は自立してました。

えーと一緒に病院に行く?と訊いても、ひとりで大丈夫っていうから。うん。このへんは強制的に付き添っていけばよかったよなというのが、今さらの反省ではあります。

 

 

はい、コロナ禍でしたが、わたしは月に数度、東京から八ヶ岳に通っていました。まずそのへんの考え方から。

 

世の中は、高齢者には「安全のために近寄らないのが正解」という傾向でしたが、わたしはそう考えていませんでした。

優先順位の問題。父の心身のぼやけ方(フレイル)の予防のほうが、わたしには上位でした。

 

基本、一人暮らし(できてない家事があっても怒らない)で、ときどきわたしが訪れるくらいのほうがバランスがよい。囲碁や映像編集など、地元のご友人との交流があれば頭はクリアですが、たまたま日々の交流がないとぼやける傾向が顕著で。でも、わたしとしゃべるとか一緒に映画やアニメをみることで、もとに戻る。

あと、簡単なストレッチ。散歩をいやがるようになっても、腰を伸ばして内臓の位置を調整するのと、下半身の血流を促進する2種類。これだけでもずいぶん違いました。

 

介護などは不要不急ではないと、百合子さんも言ってましたしね。大声で言うことではないのでひっそりと、種々の注意事項を気にしながら、わたしは東京山梨間の移動をしてました。

 

 

おかげで、え~94歳なんですか?と言っていただける、元気な高齢者でいられたのだと思います。

 

 

でも、

2月に入ったあたりで、急激に心身が不安定になってきましたので、わたしもしばらく八ヶ岳の家で暮らすことにしました。

 

ミュージカル『アリージャンス』の解説コミックですが、1・2回めと3回めで、微妙に色味の強さが違うのは、PCが違うからです。3回めのは八ヶ岳の家で作業。本人にしかわからない程度ですけどね。

 

 

そして、2日続けて父が大きく転び、

翌2日19日、病院に連れていくことになります。

 

 

在宅介護はじめました-3

ふと気づくと、自分は父とふたりだけで八ヶ岳の別荘にずっとこもっている状態なのだ。考えようによっては、精神があやうい状況に陥ってるのかも?とか。

 

気づくまで気づかなかったのは、自分のもともとの引きこもり資質もあるけれど、

SNSなどで友人らと微かなやりとりがあるし、

プライムやWOWOWで映画やアニメが観放題だし、(今は『進撃の巨人』を少しずつ観てます)

配信も助かった。大駱駝艦の『まだら』。松田さんらしくてよかったな。『日本人のへそ』は楽しみだったのに、チケットを買いそびれちゃったの。残念。

本や雑誌は思ったより、読んでないけど。

 

 

メンタルの追い詰められ感は、ない。――まだ。

 

 

父が入院してたとき、合間を縫ってミュージカルのマチ・ソワを観に東京に帰った。これがもう、エモくて温かくて幸せだった。

(加藤くん、濱田さん、笑顔をありがとうございました!)

あきらかに今までとは違う「救い」だった。世の人にとってのミュージカルとはなにか?に、ほんの少しふれられた気がしたのよ。

 

 

在宅介護サービスにも少し慣れてきたので、少しずつ自分の生活も始めたいと思ってます。

父をお泊りで預かってもらい、

歯医者も再開。ついでに舞台も観たい。来週から。

 

 

 

 

 

在宅介護はじめました-2

最近、夜は22時ころには寝ることが多い。てっぺんより前に寝るなんて、遠足の前日だってあり得ないわたしが、です。

それは睡眠というより、切れ切れな気絶。

寝返りをうつのを失敗すると、腰の痛みで目覚める。

 

夕べは、1.5-2時間おきに、5回くらい起こされる。

父が起き出して歩き回る気配は、歩行器につけた小さなカウベルが知らせてくれる。診療所の先生に歩行器を提案していただいてから、多少不安が緩和されたので、夢うつつの中でベルが聞こえても、慌てて飛び起きなくて済むようにはなった。

 

痛い痛い痛い、よいしょっと小声で言いながら、起きて、父の動きを見守る。途方に暮れているときはベッドに誘導する。

ときどき声を荒げてしまって少し落ち込むが、どうせ父は覚えていない。

 

 

わたしの腰が痛いのは、突然気を失ってくずおれる父のからだをとっさに支え、その姿勢からよき位置へとずるずる動かしてたのが原因。ストレッチとかサロンパスとか入浴とかで痛みをだましだまし収めていても、次が突然重なるから、痛みはどんどんと悪化する。

立たせたり移動させたりと予期できる介助は、入院が決まった時点で古武術をベースにした介護術の本を読んだので、どうにか負担なくできるようになってた。

問題は、とっさの動作だったわ。

 

今では父の調子が落ち着いてきて、こっちもコツがわかってきたし、ひどく痛めることはなくなった、と思うけど。んん、まだわかんないか。

 

父の調子はまだら。さっき出来てたことが今出来なくなってる。で、まだ出来るようになったり、の繰り返し。

 

知恵比べみたいなことをしてる気が、うん、しなくもないわね。

 

古武術介護塾―日々の介護がラクになる!!

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在宅介護はじめました-1

フローリングの床に敷いたふとんに寝転がったまま、手を伸ばした指先で、枕のすぐ上の窓のカーテンを開ける。寝返りも辛い腰痛が続いている。枕もとのリモコンで常夜灯を消し、別のリモコンでテレビをつける。

7時過ぎ。もそもそと起き上がり、着替え。

 

山荘風につくられた居間に介護用ベッドが陣取り、残りの空間にこたつを置き、そのまた残りの、テレビのすぐ前に自分用の布団を敷いた。訪問者がいる日はざっくりと折りたたむが、ふだんは敷きっぱなし。

だらしないけど他にアイディアはないしなあ。とりあえず、を受け入れるうちに日常となったのは、これだけではない。

そうやって新しい日常がデザインされていくのね。いくのよ。

 

生活に使わなくなった二階に上がり、ふたつの窓を開け、神棚の水を取り替え、二礼二拍手一礼し、ふたつの窓を閉める。

ベッド横の袋に溜まった父の尿の目盛りを読み、トイレに流す。

 

朝食を作る前の、これがルーティン。こんな日々が来るとはね。

 

 

腰は痛いし。胃の周りはずっと凝っている感じですよ。

心のどこかを押し殺した鈍い自分がいる。でもだって仕方ないじゃないねえ。

 

それでもいろんな方たちのおかげさまで、どうにか居られる。一時期よりはかなりマシになったし。なんの罰ゲームだよ~?とか思っていた日々もあった。

 

 

さて。これだけの文章すら、一気に書けない。

だらだらと雑用がある。

だけど書いてみると少しデトックスされる気持ちがあるので、少しずつ書いていければと思う。これまでのこと。この先のこと。

 

 

ひとりひとりに説明するのがうっとーしくて、SNSで「介護はじめました」と友人らやいとこたちに告白したのは、3/25。介護ベッドが入った日。

これは隠すことではないし。ひとりでは抱え込めないことだし。だから共有したい友人がいたらつながりたいかな的な気持ちがあったかな。

子育てみたいに気軽に話せるような社会になってほしい的な想いもあったかも。

 

見知らぬ方からの「いいね」もあり、でも見知らぬ方とこの重さを共有するには、まだ自分は初心者過ぎるなと思う。

過去の介護生活を公表していない友人の「いいね」が染みた。これだな、この感じだな、わたしが欲しかったのは。

 

 

ゆるゆると頑張ります。や、ゆるゆると頑張るしかないよねえ。