あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

手塚書房にて

そういえば、最近のブログで絵金さん愛については書いてなかったな。(そのうち書きます)まずはそのへんから。

 

江戸時代末期の高知にいた絵師に、わたしは40年くらい恋をしてて。いつかは原画/屏風絵を高知まで観に行く!と思いつつ、言いつつ、なかなか行動にうつせないまま、

なんと。屏風のほうが東京に来てくれて。先月末、ついにご対面した。

会場ではあまりに食いつき過ぎて、高知新聞の方にインタビューされ、翌日の記事にも載っちゃった、などの流れから、

昨日は神保町の手塚書房という古本屋さんに行ってきたって話です。

最終的にはそこで見せていただいた、ある本が衝撃的で、気が遠くなったことまで描きたい。

 

 

絵金さんの屏風に書かれているのは歌舞伎の芝居絵で。(語ると長くなるので端折ります)

大きな絵と対面し、筆跡の勢いを追い、色彩に酔い、息をつめて世界観に身を浸してたとき、わたしの中に轟々朗々とした声が鳴り響きました。

ああ、もしかしたら。絵金さんは酒に酔いながら筆を走らせながら、傍らの誰かにそのシーンの説明をしながら、台詞を叫んでいたのかもしれないなあ。声色を変え、全役をひとりで演じ分けて。

いつか戯曲に起こしたい自分にとって、それは確信に近い感覚でした。

 

 

そうなってくると、歌舞伎の台本、読みたい。漠然と響く台詞の感覚に、ちゃんと言葉をはめたい。えーと。まずはどの作品がいいかな。

うん。今回、原画とは対面できなかったけど『鈴ヶ森』とか。(これを語るとまた長くなる。。。)

 

 

で、ネット検索かけたら、神保町の古本屋さんにあると判明。そのままネットでも買えたのですが、行ける場所にある本屋さんなのだし、ちゃんとモノを見てから判断し、店頭で買いたいかな。と思いついた。

 

 

 

 

神保町駅から地上に出ると、目の前が小学館。新社屋になってから初めて見たな。昔、プロになる前、まんが原稿の持ち込みをして、編集さんの暴言にめちゃくちゃ泣かされた印象が強い。そのトラウマはまだ残っていて、『バクマン。』というまんがなりアニメなりでそのシーンになると、すげーどきどきハラハラする。(あー閑話休題

 

ぐーぐる先生に教わりながら、地図をたどり、この細い道?とのぞき込んですぐのところに手塚書房はあった。

おや、若い人たちが数人いて店内満員? と思ったら、地元誌?地元ウェブ?の取材とかで。よくみれば大きな機材も抱えてて。

入口付近から首を伸ばして、奥にいらっしゃるご店主に、わたしが探している本について告げ、探す棚はあっちこっち?と要領を得ないまま訊いてるうちに、奥から出てきてくださり、そうなるともう、とにかく全員の身動きが取れないので、カメラマンさんは機材ごと階段に逃げ、わたしの連れは「外にいるね~」 

 

で、絶望的に積まれた本の山から、ご店主が『鈴ヶ森』の台本を手際よくみつけてくださいました。わー欲しかったのはコレです~

「他はいいの?」えーと欲を言えば『義経千本桜』。

タブレットを操作してから、このあたりにあるはずかな?とご店主が指さしたのが、本の山の下層すぎて、きゃあ今日はもう大丈夫です。またにします。と手を振って。

連絡くれれば、いつでも取り出しますよ、とか言っていただき。

とにかくホクホクと、薄い台本を買わせていただく。(昨今はその一場しか上演されないので、ちょー薄い)

 

そのころになると取材チームはいなくなり、だけど今度は外に出ていった友人が行方不明で、わたしはひとりで店内に戻り、ゆうゆう見て回る。

じきに友人も戻ってきて。

ふたりでいろいろしゃべりながら、次々と本を手に取っていったわけだが。少女まんがから新劇から舞踏からバレエからモード(衣裳)から和綴じの技術のコツまでと、ふたりで多岐にわたったコメントをこぼしてたせいもあるのだろう。

 

ご店主がさっきまでいたクルーについて話し始める。「今どきの若い人は忠臣蔵を知らないんだねえ。急に説明してくれと言われてどきどきしちゃったよ」それは、ずいぶんとむずかしいですねえ。で、どう説明なさったんです? 「だからさ」おー。「でもぴんと来ないみたいでね」あー、なにも殺さなくてもいいのにねえ、的な?「そうそう」などなど。

 

それから、無造作に縛って積んである、ちいさな芝居絵の木版画があって。これ見てもいいですか?「どうぞ」と、抜いてみたら、もしやこれは、大昔の歌舞伎のパンフレット? うわーうわーうわー。細かい。きれい。ちなみにお値段は?(手帳サイズの数ページものです)「3000円」ですよねえ。戻します。

やだうまく戻せない。「うん。こっちで戻すよ」すみません、お手数かけます。ぺこぺこ。 

 

 

と、3人の空気が温まったあたりで、

「さっきの取材で見せた本だけどね」と1冊の本を見せてくださった。松井須磨子について書かれた本。表紙をめくった見返し部分に筆で文字が書かれていた。

あーごめん。ちゃんとした文章は覚えてない。とにかく内容はこんな感じ。

 

《この本は嫁入りの際「〇〇(女子の名)」が唯一持っていく品である》

 

え。ちょっと待って。

嫁入り道具が本一冊ってどういうこと?

しかも松井須磨子? (←当時のぶっ飛んだ生き方代表な女優)

奥付を見ると大正8年発行第一版とあるから、せいぜい昭和一桁くらいまでの出来事で。

この本の持ち主は、どういう人生を送ったの? ページをめくる手が震えてきた。この感じからすると、この本一冊だけを持ってお嫁にいったって読めるよね。

 

そして今思い出してたら、女文字だった気がする。母親? 学校の先生? 先輩?からのはなむけ。

 

 

ちょうど100年前。誰かが、決心して、暮らしていた、結婚に立ち向かっていった(?)というリアルな感触。その周囲には秘めた熱量があった。女であるというだけの同志たちがいたという震え。はるかな感覚。

 

 

わたしはフェミニストではないので、この出会いをこれ以上の何か(作品とか)に煮詰める気はない。

ただ、

一冊の本の。

その重みは今とは段違いだった。

そのことを、自分の中に深く刻んでおきたいのだった。

 

 

 

 

台本? 読んだよ。名調子の応酬! で今度は、実際の舞台で観たくなった。好奇心のしっぽはキリないわね。

国立劇場のライブラリーで文楽は観たことあるけど、歌舞伎もあったっけ? 

台本の上演について調べたら平成14年1月の浅草公会堂は七さんが出てらしたようで(つまり初役の可能性が高い)、だから台詞の中に「勘九郎」とあるのか。と、別のわくわくも出てきた。

 

ま、今夜はここまでね。

 

『天神さまのほそみち』

燐光群 @ザ・スズナリ

別役実 作  坂手洋二 演出

 

コロナで劇場閉鎖後、初めての観劇! 

ヘアスプレーやらふぉ~ゆ~やら、ここまでいくつの屍(失礼)を乗り越えてたどり着いただろう。

 

検温のために劇場前で間隔あけて並んでるときも、すでに、ああああって感覚だったし、なんなら前の晩からそわそわどきどきしてたわけだが、

アルコール消毒して、合図を待ってからひとりで階段上って、ビニール越しに、受け皿越しに受付をして、

まばらな椅子に座り、静かに開演を待つ間、洗練された美術を眺め、小劇場の最前列だというのに舞台までは2メートルの距離があるわけで。そうして見渡せる舞台が美しくて美しくて。

あーこれから演劇が観られるのだと、うるうる泣きそうだった。自分が泣きそうだという状況に、また泣けた。

 

(で。最前列だったので上演中の、すかすか客席の反応や熱量がどんなだったかは、わかりませんでした)

 

 

3.11直後も最初に観たのは燐光群だったと思い出す。これは偶然ではなくて、燐光群というのがそういう立ち位置、率先する活動をする劇団ということなんだな、とか思う。

 

 

別役さんのシュールコメディ(不条理劇)で、こんなに笑ったのは初めてかも、というくらい笑った。燐光群を観るのも久しぶりだったせいか、それとも役者さんのほうにもやっぱり思い入れがあったのか、

軽やかなお芝居の中に、以前以上の厚みを感じた気がする。なんだろう。ぱすっぱすっと、居場所に当てはまっている感じ。上質で大騒ぎで一貫したハーモニー。

 

あとね、役者さんたちの佇まい。これがなんともいえない、昭和前半の祭りの風情を香り立たせてた。

 

そして観ている側の自分が、いつもよりオーバーアクションで笑っているのに気づく。マスクしてるせい、だと思う。

不条理劇ではね、より観客の反応が役者の背を押すって感覚をわたしは持っているから。笑っている、喜んでいる、頷いているという反応を、示したいと感じている。(最前列の真ん中だし)

 

役者さんのおひとりおひとりが愛しかった。くだらないことで、人間のチカラ関係がくるくる変わる。え、こんなはずになっちゃう? いやいや、だからぁ! あー。

別役さんのホン、すげえな。

 

 

 

8月から映画館はフル稼働になるんだって? それでクラスターがでなければ、少しずつ客席の密はあげていけるのかしら。客席がこんなで採算大丈夫?と、わたしはそっちのほうがハラハラしてしまう。

不安な方は劇場に来なければいい。自分は管理できてると自信をもてる人たちが、来ればいい。

 

誰もが横一列に平等で、同じ権利を有すると考える時代は、終わるのかしら。

自分の考えに添って、自分の行動をセレクトする。おや、書いてみたら当たり前すぎて笑ったわ。でも、

実はそうではない社会になっていたってことなのかしらね。

 

ぐるぐるぐる

すみません。さっきからワンフレーズが自分の中で繰り返されて先に進まないので、

ここに書かせといて。え。文句ある? (笑

 

わたしは高校生の頃、誰もが自由にもの言える世界になればいいのに。と考えていた。

でもそれは、絶対に、今みたいな世の中のことではなかったよ。

 

 

 

 

 

そうか。リツイートされて書かれたコメントは、わたし以外の人からはみえないのね、とさっき気づいて。ええ、ムカついてますがナニカ。そんで、カウントあっていないけど、これはどんなトリックですか?

 

赤の他人さまにそんなこと言われる筋合いないわ。って内容を、赤の他人に吐くって失礼と、

誰もが自由にもの言える世界。

の間には、どんな溝があるのかしら。今言えるのは、礼儀知らず?

 

 

 

 

 

不安なんだよね。生きることが。たぶん。と思う。

だからいろいろ許せない。許せないから、どんどんルールばかりが重ねられ、細かい視座に縛られ、結局他人ではなく自分を縛り上げてく。

そんでいよいよ、あっぷあっぷ。結果、赤の他人を攻撃したい。のかしら。

 

でもそれは、自分で決断していないからじゃないの? 自分のせいだと考えたくないから、他人のせいにしたいのでは?

とかに、わたしは行きついてしまうの。ごめんね。わかったようなこと言って。

 

はい。ウッカリ返信ツイートしないために、ここに書いてます。ごめん。読んでくれた人。

(ちなみに実際しかねなかったであろう返信内容とは一致してません)

 

 

 

 

そうそう。

 

わたし、ずっとコロナ「渦」だと思い違いしてました。「禍」だったのね。ひょんなことで気付かされました。ありがとうございます。コロナ禍。あー恥ずかし。

(会話ではコロナカ言ってたから大丈夫!) 

 

 

で、その、「新しい生活様式」の先について。

人は3パターンに分かれるかもしれないと、考えてたりします。

 

情報に飲み込まれ、ただただ恐れおののき、お上の言う通りの正義警察となる人たちと。

自分で情報を読み解いて、自分で判断して、自分なりのやり方を見つけていく人たちと(行政に頼り過ぎない?)。

何もなかったことにしてやり過ごそうとする、今までと変わらず無関心に生きていく人たちと。

 

割合い? わかるはずもない。

 

できれば早く、みんながそのことに気づいて、住み分けるというか、相手の選択を「理解できなくても認めてくれる」と、いいんだがなあと思う。

でも自覚した時点で、いがみあっちゃうかなあ。

 

今でも、街で電車でマスクしてない人がいるよ、恐ろしや、ってSNSに書きこまなきゃ気が済まない友人らが、何人もいるしね。

 

 

 

 

夕べ、もうおとといか。

夜の小雨。人けのない茶沢通りで。

すれ違おうとする男子高校生が、ふっと緩んだ。たぶんわたしも、同じ表情をした。

 

わたしたち、どっちもマスクをしてなかったの。(わたしは傘を持つ腕にマスクをかけてました)

外出時でも必要ないマスクははずすという選択をしてるだけで、「同志」になっちゃったかも。

 

で、なにがしあわせだったって、

文字通りに袖触れ合っただけの、見知らぬかれのステキな笑顔が、フルで見られたってことよ! あー久しぶりって思っちゃったわ。 

 

 

戦うでなく逃げるでもなく

コロナ渦のなか、いろんなことに辟易しているうちにブログを書かなくなり、3か月近くたってしまいました。そして今日、流れの中で自分の気持ちがひとつ切り替わったので、書き落としておこうと思います。

 

これはあくまでも個人の考え方です。

みなさんに推奨します。同調してくださいという類ではないし、反論お待ちしています、でもないです。コロナが怖くて身動きできません!という生活を送っている方々に疑問反論するものでもありません。

わたしがひとりでこうしていこうと静かに思いついただけだと、まず書いておきますよ。

 

それと。

病弱な方、社会的に必要とされている方々は真似しないでください。

わたしは自分が、社会的にはそんなに必要とされてないほうかな?と思い、だったら自分の役目だなと考えたのですから。

 

 

さて。

現在わたしの中の一番の危機感は、「このままでは文化が崩壊する」です。この場合の文化は主に、舞台芸術と大道芸フェスを指します。(美術館は条件付きで解放されましたので、そっち系の危機感は消えました)

そりゃ、どちらもいずれは復活するでしょう。それは疑っていません。でもそれはいつ? なにを判断基準として?

 

舞台芸術に関して言えば、最大手株式会社劇団がクラウド・ファンディングを始めちゃったけど、もちろんそれは自由なんだけれど、その他のプロダクションにしわ寄せがいかないかしら、とかね。

だからいろいろと、ぐずぐずできないんじゃない? もっと早いそれぞれの復活が望ましいのでは? という感覚があります。

 

 

 

大道芸フェス2020に関していえば、主なところで今年の開催を中止していないのは、わたしの地元の三茶だけになってしまったようです。(ほかにもあるかな?)

もちろん三茶も様子見保留であり、決定しているわけではありません。

 

大道芸なんて「めっちゃ換気のいい場所」の開催なのになあ。

 

でね。昨日、渋谷を通りかかったら。

都知事選の選挙演説に、何人もが人前で。大声を出しつばを飛ばし、その前にはそこそこ人数の観衆や取材たちが密に群れてる様子を拝見しまして。あー都の自粛解除はこれに合わせてだったの?とか考えたわけですが。

 

 

だったら大道芸してもいいじゃんねえ。

観客はマスク着用、芸人は陰性確認する。そういうシステムをつくれたら、あとは何?

 

群れても安全という「実績」?

 

 

 

さて。

SNSに書いたのですが、昨日はこんな感じで過ごしました。

今日は友人と電車乗ってランチして美術展観て電車乗ってお茶して買い物して夕飯食べて満員電車に乗って帰ってきました。食べてる以外ずっとマスク検温2回たびたびのアルコール消毒。話題の半分はコロナ渦のあれこれ。さて結論は?

今読み直して思ったけど、正確には、結論は?じゃなくて一週間後の結果は?でしたね。 

 

たぶん世の風潮としては、自粛解除しても気を抜くなぁ!というご意見が主流なのでしょう。でもわたしは、

「ルールを守って大いに行動する」側になろうと思います。

 

これはある意味「検証」です。必要のないルールに縛られて、必要以上に怖がり、責任回避を理由に可能なイベントを中止にすることを避けたい。

そのために起こす行動です。

 

 

もしかしたら自粛解除も。安全の保障ではなく検証なのかしら?

 

 

 

つけたし。

さっき仕入れたネタでは、マスクにミントスプレーすると清涼感が得られるとあったので、あとで試してみます。

 

 

数値化の説得力

以下の長文は、半ば愚痴だな。知ってほしいというより、わたしが書いておきたいだけかもです。

 

 

多摩美校友会で理事をしている。今年で4年目。任期は8年。

 

先日。次年度に向けて、わたしは自分らしくない選択をした。昔の自分だったらたぶん、両方がんばったんだろうなぁ。え、これでよかったのか?と、ときどき思い返すが、胸に手を置いても、後悔している感触はない。

そんな自分にいくぶん戸惑っている感は、ある。

 

 

Facebookのおかげで大学のサークルの友人たちと再会し、その後もときどき一緒に遊んだりして。で、その中の何人かが、母校の校友会理事をやってたわけだ。

友人のひとりが手掛けてたのが、「出前アート大学」。地方の小学校に出向き、著名な卒業生が講師となり、特別な図工の体験を提供する授業。なにそれ楽しそう。わたしもやりたい!

 

奇特にも理事をやりたい!と口走った後輩を逃すテはあるか?と、やさしい先輩が奔走してくれ、執行部による面接という運びになった。(ふつうは面接なんかやらないらしいんだけど)その席で、「出前」事業は希望者多いし、ほかの部署になってもいいかと問われ。まぁそこは勢いで、はいと応えたわけだが。

 

まじ別部署に配属された。

あそこで返事しちゃったしなぁ。仕方ないか。

「出前」の会議にはオブザーバーとして参加させてもらいながら、きちんと「グループ活動助成金」の事業と向き合った。

 

でさ、まぁね、いろいろあった。当時の会長に振り回されて。かれがやりたいという新事業についてのレポートも書いたし、ただ、そこでひっかかったのが、ほんとにそういうニーズあるんですか?という疑問。会長がそう思い込んでるだけじゃなくて?

そのあとのすったもんだは、書くと長くなるので、また別の機会に。とにかく、その計画は頓挫した。させた。

 

 

次年度。こちらにお伺いもないまま「グル助」委員長を任された。え? あ、でもそういうことになるのか?みたいに受け止めて。(根が呑気です)

つまり味噌っかすみたいに扱われてる部署だし?ってことか。

 

引き継いだことを少しだけ発展させ、やれることをやった。気持ちばかりの(予算が低いんだもの)助成をしたグループ展に、できるだけ出向いて、個人からの話をうかがうとか。

そして、無理のない範囲でと、アンケートのお願いを始めた。卒業生たちの認知と、実際のニーズが少しは汲み取れないかなという発想で。うん。前会長の夢の実現は阻止したけど、想いはまずそんな形で、引き継いだってところ。

 

あ。同時に「出前」事業にも、掛け持ちで正式に参加した。この年は、地元小学校ひと学年に、大学の卒展を鑑賞してもらう授業を担当した。前例のない事業で、たいへんだったけど、楽しかったし、感慨も深かった。

 

 

今年度もいろいろ大変で。わたし自身そろそろ、ふた事業の掛け持ちがつらくなってきたのもある。他のメンバーみてても、理事なんてボランティアなんだから、無理したり、正業に支障が出たりしちゃダメでしょうとも感じた。

というのもあってか、先日、役割分担整理の意向アンケートがきたとき。

わたしは、

 

「今後、××××××××××××××の可能性等を視野に入れるのなら、【出前】の活動にかかわり続けるのは難しいかもしれないと覚悟しています。【出前】をやりたくて参加した理事会ですが、これも流れであると受け止め、卒業生たちの活動支援に回ります」と書いた。

 

昔の自分だったら、両方がんばっただろうにと書いたのは、このことです。

 

そっか。あのときのいやぁな感触を、断腸というのかもしれない。

 

3月の理事会は、感染予防のため当然、中止。かわりにメールを使った議事進行となりました。

ほんとに承認でいいんですか?と事務局長から念を押されました。わたしの「出前」活動愛は、浸透してたみたいですね。

 

 

 

 

そんなこんながありましたよ。

そして、表題についての実感は、この先なんです。

 

今年はアンケートの回答をまとまった数、得られたので、集計・グラフ化しました。卒業生たちの考え・感触が、少しは数値化・視覚化されたわけです。

わたしとしては、来年度の「グル助」活動の指針のつもりでしたが。

 

あれ?

 

いつのまにか、来年度校友会の主要事業に格上げされたみたいですよ。へぇ?

 

 

他の思惑からの流れも推量できなくはないですが、あの集計が説得材料として発揮した手ごたえがありました。数値化・視覚化・言語化、大切だわ。

 

 

というわけで、わたしの残りの理事活動が、路線変更してしまったおはなしでした。

 

 

 

でもなぁ。「出前」でひとつ、やり残したことがあるんだよなぁ。

今は「アート・デザイン」の授業としてるけど、そこに「パフォーマンス」を加えて、演劇舞踏からの授業をしたいのよねぇ。

 

状況によっては、うん。今後の状況によっては、だわね。