そういえば、最近のブログで絵金さん愛については書いてなかったな。(そのうち書きます)まずはそのへんから。
江戸時代末期の高知にいた絵師に、わたしは40年くらい恋をしてて。いつかは原画/屏風絵を高知まで観に行く!と思いつつ、言いつつ、なかなか行動にうつせないまま、
なんと。屏風のほうが東京に来てくれて。先月末、ついにご対面した。
会場ではあまりに食いつき過ぎて、高知新聞の方にインタビューされ、翌日の記事にも載っちゃった、などの流れから、
昨日は神保町の手塚書房という古本屋さんに行ってきたって話です。
最終的にはそこで見せていただいた、ある本が衝撃的で、気が遠くなったことまで描きたい。
絵金さんの屏風に書かれているのは歌舞伎の芝居絵で。(語ると長くなるので端折ります)
大きな絵と対面し、筆跡の勢いを追い、色彩に酔い、息をつめて世界観に身を浸してたとき、わたしの中に轟々朗々とした声が鳴り響きました。
ああ、もしかしたら。絵金さんは酒に酔いながら筆を走らせながら、傍らの誰かにそのシーンの説明をしながら、台詞を叫んでいたのかもしれないなあ。声色を変え、全役をひとりで演じ分けて。
いつか戯曲に起こしたい自分にとって、それは確信に近い感覚でした。
そうなってくると、歌舞伎の台本、読みたい。漠然と響く台詞の感覚に、ちゃんと言葉をはめたい。えーと。まずはどの作品がいいかな。
うん。今回、原画とは対面できなかったけど『鈴ヶ森』とか。(これを語るとまた長くなる。。。)
で、ネット検索かけたら、神保町の古本屋さんにあると判明。そのままネットでも買えたのですが、行ける場所にある本屋さんなのだし、ちゃんとモノを見てから判断し、店頭で買いたいかな。と思いついた。
神保町駅から地上に出ると、目の前が小学館。新社屋になってから初めて見たな。昔、プロになる前、まんが原稿の持ち込みをして、編集さんの暴言にめちゃくちゃ泣かされた印象が強い。そのトラウマはまだ残っていて、『バクマン。』というまんがなりアニメなりでそのシーンになると、すげーどきどきハラハラする。(あー閑話休題)
ぐーぐる先生に教わりながら、地図をたどり、この細い道?とのぞき込んですぐのところに手塚書房はあった。
おや、若い人たちが数人いて店内満員? と思ったら、地元誌?地元ウェブ?の取材とかで。よくみれば大きな機材も抱えてて。
入口付近から首を伸ばして、奥にいらっしゃるご店主に、わたしが探している本について告げ、探す棚はあっちこっち?と要領を得ないまま訊いてるうちに、奥から出てきてくださり、そうなるともう、とにかく全員の身動きが取れないので、カメラマンさんは機材ごと階段に逃げ、わたしの連れは「外にいるね~」
で、絶望的に積まれた本の山から、ご店主が『鈴ヶ森』の台本を手際よくみつけてくださいました。わー欲しかったのはコレです~
「他はいいの?」えーと欲を言えば『義経千本桜』。
タブレットを操作してから、このあたりにあるはずかな?とご店主が指さしたのが、本の山の下層すぎて、きゃあ今日はもう大丈夫です。またにします。と手を振って。
連絡くれれば、いつでも取り出しますよ、とか言っていただき。
とにかくホクホクと、薄い台本を買わせていただく。(昨今はその一場しか上演されないので、ちょー薄い)
そのころになると取材チームはいなくなり、だけど今度は外に出ていった友人が行方不明で、わたしはひとりで店内に戻り、ゆうゆう見て回る。
じきに友人も戻ってきて。
ふたりでいろいろしゃべりながら、次々と本を手に取っていったわけだが。少女まんがから新劇から舞踏からバレエからモード(衣裳)から和綴じの技術のコツまでと、ふたりで多岐にわたったコメントをこぼしてたせいもあるのだろう。
ご店主がさっきまでいたクルーについて話し始める。「今どきの若い人は忠臣蔵を知らないんだねえ。急に説明してくれと言われてどきどきしちゃったよ」それは、ずいぶんとむずかしいですねえ。で、どう説明なさったんです? 「だからさ」おー。「でもぴんと来ないみたいでね」あー、なにも殺さなくてもいいのにねえ、的な?「そうそう」などなど。
それから、無造作に縛って積んである、ちいさな芝居絵の木版画があって。これ見てもいいですか?「どうぞ」と、抜いてみたら、もしやこれは、大昔の歌舞伎のパンフレット? うわーうわーうわー。細かい。きれい。ちなみにお値段は?(手帳サイズの数ページものです)「3000円」ですよねえ。戻します。
やだうまく戻せない。「うん。こっちで戻すよ」すみません、お手数かけます。ぺこぺこ。
と、3人の空気が温まったあたりで、
「さっきの取材で見せた本だけどね」と1冊の本を見せてくださった。松井須磨子について書かれた本。表紙をめくった見返し部分に筆で文字が書かれていた。
あーごめん。ちゃんとした文章は覚えてない。とにかく内容はこんな感じ。
《この本は嫁入りの際「〇〇(女子の名)」が唯一持っていく品である》
え。ちょっと待って。
嫁入り道具が本一冊ってどういうこと?
しかも松井須磨子? (←当時のぶっ飛んだ生き方代表な女優)
奥付を見ると大正8年発行第一版とあるから、せいぜい昭和一桁くらいまでの出来事で。
この本の持ち主は、どういう人生を送ったの? ページをめくる手が震えてきた。この感じからすると、この本一冊だけを持ってお嫁にいったって読めるよね。
そして今思い出してたら、女文字だった気がする。母親? 学校の先生? 先輩?からのはなむけ。
ちょうど100年前。誰かが、決心して、暮らしていた、結婚に立ち向かっていった(?)というリアルな感触。その周囲には秘めた熱量があった。女であるというだけの同志たちがいたという震え。はるかな感覚。
わたしはフェミニストではないので、この出会いをこれ以上の何か(作品とか)に煮詰める気はない。
ただ、
一冊の本の。
その重みは今とは段違いだった。
そのことを、自分の中に深く刻んでおきたいのだった。
台本? 読んだよ。名調子の応酬! で今度は、実際の舞台で観たくなった。好奇心のしっぽはキリないわね。
国立劇場のライブラリーで文楽は観たことあるけど、歌舞伎もあったっけ?
台本の上演について調べたら平成14年1月の浅草公会堂は七さんが出てらしたようで(つまり初役の可能性が高い)、だから台詞の中に「勘九郎」とあるのか。と、別のわくわくも出てきた。
ま、今夜はここまでね。