わたしの大好物について、少し書こうと思います。
最初、抱いたイメージは、自分の奥にある、深い闇に輝く一本の糸(弦)という感じでした。20歳前後だったと思うけれど、どうしてそんなイメージを持ったのかは覚えてません。本を読んでたか何かの折に、ふいに、あーそんな感じだなと思い至ったのです。
ものごとの本質というか、真実というか、神秘というか、
言葉にならない、言葉の外にある、心を静かに震わせる、豊かで、はるかなモノ。
生きていることが、崇高で、愛しく、感じられる、自己との対話? この先も、丹念に生きていくことにハラが括れる、みたいな。
たとえばそれは大昔、祐一郎さん演じるジーザスの『ゲッセマネ』を聴いてたときに。歌声と共に、客席天井一面に、つる草みたいなものがはびこった感じがした?と思ったら、ぱんっとはじけて宇宙の深淵が見えた気がしたとか。(そういう気分にさせられたって意味です)
『オンディーヌ』のハンスの最後の長台詞が、真珠のネックレスのように、きらきらと空気を塗り替え続けていく感じとか。
一番発現しやすいのは、舞踏とか、コンテンポラリー系のダンスを観てるときなのですが、ダンサーさんにもよるし、そのダンサーさんでも発現するときとしないときがあるので、具体的に語るのがチョットむずかしい。
開次さんの神楽系の作品だと、わりと確実かな。
他人をながめているはずなのに、鏡をのぞき込んで自分の奥底と対峙するような気持ちになったり、宇宙と自分がつながってる心持になったり。
でね。
これだけだと、演者がある種のゾーンに入ったとき、こちらに何かが届くのかしらん?と考えられそうなのですがっ!
初演で芳雄さんの『ぼくこそミュージック』を聴いたときも、のびやかな声に宇宙の広がりの片鱗を感じました。
が!
ずっと後になって、ラジオ番組で芳雄さんが「あそこの歌詞、意味わかんないし。苦労した」みたいな発言をされてて、軽くショックを受けました。や、まさにそこで、わたしはステキに感動してたのに~?
ということを考えると、役者が「ゾーンに入った」から、というわけでもなさそうです。
祐一郎さんも、ハンスの長台詞について「台本の何ページ分もしゃべりっぱなしで、喉は渇くし、めちゃキツい」とかコメントしてたしねえ。
(えーとホラ、最近の作品で言うとサ、とか列挙しそうになったけれど、今後観る方たちに妙な観察を植え付けたくないので、そこは自粛)
ただね、『笑う男』では、
東京公演最初の頃は、脚本の欠点にあれこれイライラさせられたけど、
後半は、演者さんたちのからだが説得力を持ち始めて、欠点をカバーしてしまってて。(文字通り、言葉の外で感動させてた?)
結局、決心とからだの問題なのかしらねとは、思うわけですよ。
はい。
わたしの究極の好き・嫌いは、たぶんこの辺が尺度になっています。アートやパフォーマンスがたまらなく楽しいのは、そこへの道筋が、あるか、ないか。
もちろん。ミュージカルファンの中には、祐一郎さんや芳雄さんの声が苦手だとおっしゃる方たちもいるわけで、
そりゃ、ミュージカルは、宇宙の深淵に触れる喜びであるとはかぎらないわけで、
まあ、わたしがつまんなかった! とか感じても、余計なお世話だと笑ってください。
(とはいえ、意識が迷子になってるから、わたしを説得・感動させられないんだと気づけたほうが、たぶん今後の伸びしろが変わってくると思うけどね~)
入口はたぶん。浅利さんの(昔の)演出作品なんだろうなあ。
最近の四季の舞台は、その辺が甘い。
さて。
今日のお昼は、田中泯さんのストリートに行く予定です。楽しみ。