この一週間は、ある台本の第二稿と向き合ってた。第二稿というのは、最初に書いた原稿をブラッシュアップすることで、つまり上演にむけてようやく進みだしたことになる。
読み返してるうちに、ひとりの女子の存在感がどうにも弱いなと思う。ほかのコたちの受けに回ってしまっている。
なので昨日はほぼ、そのコについて考えていた。
役者や劇作家の初期マニュアルによく「その人物の履歴書を作れ」というのがあるけれど、わたしはあまり支持していない。わたしが探りたいのは、その人物ならではのこだわりや悩み。このお芝居に登場するまでの時間、何を感じ、考えていたか。(履歴書のその奥って捉えれば、履歴書も無駄ではないけれど)
ちなみに、最近の14-5歳の女子を描くとき、40数年前の自分の経験は、ほぼ役に立たない。感受性はそう変わらないけど(あの頃は特異だったわたしの感覚が、今の平均値に近いという意味では、時代は変わった)、特に社会的な考え方や行動は、自分の大学生くらいの感覚に近いんじゃないかと考えてる。
たぶん、そのアンバランスが魅力なんだろうけど、自分の線上にいる分、客観性がむずかしい。
かの女の立場でこだわったであろう切り口を見つけて、原稿に手を入れる。が、このコのお話はまだまだこんなんじゃないはず!のレベルでしかなく。
まだ今も、外出したりほかの本を読んだりしながら、ずっと、ぼんやりと、考えているわけで。
ゆうべ、寝返りをうちながら、ふと思ったんだ。
こうしているわたし自身の人生も、もしかしたら誰かが描いている一瞬のイメージなんじゃないかな、と。世界は入れ子。
意識の奥でなにかの深淵に触れた――