今年の「あつぎ」はナンカ今までと違っていた。どこがって、うまく言い難いのだけれど。
というわけでまず、今回感じた「(わたしの考える)大道芸とは?」みたいなことについて、ちょっと皮膚感覚なことも含めて。
考察させてくれて、ありがとう「あつぎ」!
で、どこが違ってた?かというと、
あちこちのパフォーマンス中、見物がどしどしと紛れてきたり、
(↓↓ パフォーマンスの最中に迷子ちゃんの親をさがすまことサン/この風景すら突き抜けたショーの一部にできる芸人は多くないわね)
見物が、邪魔をするんじゃなくて、ショーに入り込んでしまいたいみたいな? そんな子どもたちや酔っぱらいさんたち?が続出してたみたいで。
それから。こういうフェスでは、会場のあちこちで大道芸オタクともだちと多数出会うもんなんだけれど、案外会えなかったり(わたしだけの感想じゃないよ)、
つまり他所から来たわたしたちが、固まることなくバラバラのまま、見物たちに吸収されちゃった?感があり、
そして最後の大夜会では終了後アンコールが起こったり、
ってか、大夜会に出ていた芸人たちの間に、いつにない一体感みたいな空気があったな。自分が前に出るというより、みんなでここに空間を作ろうみたいな?
街や観客や、フェスそのものが、育ってきたのかな、とも思うし。
それだけじゃなく、
んー。ちょっとデリケートな言い回しなのですが、
これは大地くんの最後の踊りで感じた感覚なんだけれど、
かれのからだがシャーマンぽくなって、この土地に根付くナニモノかと会話してるように見えた瞬間があり、
土地(に棲むモノ)が、祭りを、大道芸フェスという神楽を、受け入れてくれたのかなみたいな。
思い出すと、一年前のこのフェスの帰り道からわたしの神社(神楽殿)めぐりは始まってて、
あのときひとみんにくっついて見に行った神社では、神楽殿が(火事で?)消失してて、みんなでここが跡地なのかなとか推理したんだが、
消失した神楽殿の代わりに、
街中の十数か所で展開する大道芸フェスが、二日間にわたり、ヤオヨロズのナニモノか(神)を楽しませているのかな、みたいな。
そんなことを思わせてくれたのでした。
そしてなるほど。わたしが好きな大道芸人の多くは、シャーマン気質なのだな、というあたりで腑に落ちた。
(シャーマン気質でなくても好きな芸人はいますよ)
そんでそんで。この感覚、地元三茶の大道芸フェスにはないんだよなあ。(地元神社のおまつりでは感じます)
渋谷のフェスでは、マルキュー前の三叉路エリアで感じたことがあったな。
さて今、わたしの中には「共生する個」という結論がぐるぐるしてるのですが、
困ったな、
大道芸や神楽の肌触りが、
共にあるバラバラ感とか、情報のぶっちゃけとか、一体感とかにどうつながっていくのかを説明できない。
あはははは。
(つづきます)