日曜日は知念大地くんのオペラシティでの大道芸を見に。
その日のかれは昼間、下北沢の小屋(劇場)にも出てたのだけれど、わたしは室内という閉じた空間の中でのかれにはあまり興味はなくてさ(ごめんっ)。
大道芸のお題は「踊り」でした。久しぶりだった。誰でも簡単に楽しめる質のものではなく。観るほうもちょっとコツがいるというか。
終わってから大地くん、わたしに向かって「なつかしいね」と言った。うん。かれがこの「踊り」を始めたあたりからわたしは観ていて、そのころは井の頭公園で通行人?におまわりさん呼ばれちゃったこととかもあって。倒れてもがいている人がいますとかってwww (ちゃんとヘブンのポイント枠なのでしたが)
どんなのかというと。
たぶん、
大地くんがその場の風景や音や空気を感じるだけの存在になる。わたしも自分の感覚をぶわっと開いて、大地くんの感覚をとおして無心で耳を澄ます。もしくは、その場の空気を輝きとして自分に取り込み、押し広げ、その中に「いる」大地くんの動きを感じ取る。ほんの一瞬だけ、宇宙が降りてきたっと、空気が変わるときが、ある。
みたいな。そんなやりとり。
ほかの人たちがどう見ているかは知らない。わたしの場合は、そんな見方。感じ方。
今回、大地くんってバクテリアっぽいなあと、ふと思った。存在そのものがね。何も想いもメッセージもなく、ただそこに居るだけ。わずかにわずかに、何かを侵食しながらね。
んん。
それでいいのか? わたしにはわからない。
そのまま突き進むことで出会う何かがあるのかもしれない。なにかがわたしに届くのかもしれない。
んん?
わたしね。
この間のヘブン上野で、バーバラ村田さんパフォーマンスを観たとき、愛とは支配と被支配のやりとりのことなのかしらん?と感じたのだけれど、
人と人とのあいだには、共振だけでなく、支配される喜びと畏れがあって、それがぴりぴりと(Mっぽい)喜び、ロマンティックになるのかしらん、とか。
なので、
ショーを観るということは、相手に支配されたい要求なのかな?とか考えているところなので、
大地くんの圧倒的な内面みたいな何かに触れてみたいなあ、支配されてみたいかもなあと、思ったりするのですよね。
正解がどれかはわからない。
ただ、この先。知念大地はどこにいくのだろうと、見守るだけ。