久しぶりにとてもストイックなダンスを観ました。
開次さんの10年ぶりの再演作品。
んん。10年前はいかにも、自分を見て! 褒めて!な作品だったんだろうなと思わせる振り付け?
なんか今回、わたしはピュアな気持ちで作品と対峙したい気分だったので、先だってのインタビューとか当日のパンフレットとか、開次さんの言葉は一切入れずに、観ました。なので、ホントに、自分の感性だけの、勝手なイメージで。
そんな自分勝手な自己満足が、案外幸せ。
アクロバティックで、静と動を自在に計算した、悪夢のように美しい動き。切り出されたような白い筋肉は60分間、休むことなく緊張を強いられ。組み立てられた内面に添って変幻する顔。体つき。散り敷かれる椿の花。
射貫かれたように観ているわたしの内面は、切り裂かれ、ハラワタを紅に白に黒にむき出しにされ。鋼が精錬されるように、次々と浮かぶ邪気を叩き出し、そぎ落とし、
自分が、純粋というより「透明」に近づいていくような感覚。透明な自分の思いとは何なのか?とビュウビュウ問われる。
そんな内面の、自分だけの旅に曳き出され。
最後にものすごくショックだったのは、
鍛え上げられ、磨き上げられ、そうして産まれた完璧な「刀」は、他人の内蔵を切り裂いてこそ、血と脂に汚れ、拭いあげられ、初めて真のオノレになるのかもしれないと、思い至ったからで、
透明であることは残酷で、だけどそんな自分から、目をそらしてはいけない。
みずからも血を流し、他人をキズつけ、乗り越えるとは実際どういうことなのか。
生きる「自分」となるために、きれいごとを振り捨て、引き受けること。
そうそう。表現とは自分をむき出しにすることみたいなことをよく言うけれど、開次さんにはあてはまらないわね。かれ自身はものスゴク堅牢なヨロイに覆われてて、美しいのはそのヨロイ。コアはたぶん臆病で用心深い。
だからわたしは感歎はするけれど、共振はできない。
そんな他人ごとな、もしかしたら神とか精霊とかに通じるような別次元に対する、ステキ☆
ありがとうございました!