ゆうべから。
あの役を、タツオカさんがなさったらどんな切り口だったろうと、想いを馳せている。
クサカさんでもミズシマさんでもなく、タツオカさんの芝居。
たとえばあの墓掘りの演技を、現在のわたしだったら、どんな解析できるんだろう。当時はステキだなあ他とはどこか違うよなあとしか、わからなかった。
あとね、なんだったかな、ユリディスかなんかかな、ストーブの前で眠りこけてる駅員さんかなんかの芝居。(エラクあいまいな記憶。イメージの手ざわりだけが残っている)
端役をされるときのあの存在感は、肩のチカラが抜けていたからだ、なんてことでなく、実はとんでもない計算ゆえのおかしみだったのではないのか?という気がしてならない。
そしていまや、あの芝居かできる人はいない。
同じ板の上、同じ風景の中、主役や主題から離れた場所で、主役たちとは別の人生や生活の中を生きてらした。気がする。
主役たちがしゃべったりしてるときは、居眠りしてたり全然他のことについて考えてたりして、声がかかると我に帰って、誠意をこめているがゆえにちょっとズレたふうに返す。みたいな。あのヌケ感。
ってか、クサカさんがハムレットされたときのビデオ、誰か持ってませんか?ってことだわね。おや、フォーテンブラスはだれだっけ?も含めてか。
(今調べたら、34年前のことでした)