厚木の大道芸フェスのついでに大学生の友人(建築科)が、卒論のためにこの近所の神社をみてから帰ると言いだして、面白半分についていった。かの女の解説つきで神社を見てると、やばい。うずうずする。厚木神社は津島系みたい?で、スサノオと牛頭を祀ってた。
さきだって。
父の友人のお宅にPCの面倒をみに行って、おしゃべりのついでに本を貸し出された。石牟礼道子さんはいつか読むんだろうなと思っていたが、そのときが来たらしい? 『椿の海の記』という風土記っぽい自伝なのだが読みながら、やっぱり日本の神さまのルーツは九州かしら?という気分になり、
ついでに大学生のころに読んだ夢野久作(大正‐昭和に九州在住の作家)の『犬神博士』がしきりに思い出される。なんとなく空気感が似ているような? こちらは(今にして思えば)大道芸人のお話。
で。なんとなく自分の中の風見鶏が震えはじめている予感はあったのだ。古事記。九州。日本の神さま。・・・・・・
9年前、思いついて9日くらいで書いた芝居がある。芝居というより、ダンスやコロスが出てくる、言葉と風景。雑誌に送ったら佳作と評価された。
でも何かが大きく欠けているのは自分でもわかっていた。
何が欠けているのかが見え始めたころ、大震災があって自分の中がひっくり返り、
劇中出てくる大火事のシーンは、空襲からくる戦争責任のイメージではなく、大震災後の人の心の混乱でなければいけないよねと思い、
いよいよ自分の手には余って、放り出された形になっていたのだね。
でも突然、風見鶏が起き上がって風の向きを指し始めることもあるのだ。
くだんの友人が夕方から新宿の熊野神社に行くのに同行する約束をした日。
見せてもらった神社のリストにうちのご近所の駒留八幡あったので、昼間行ってみた。
ときどきお参りしてた場所なのだが、友人のチェックポイントという視座が入ったら、がぜん違うおもしろさを感じた。
そして友人と待ち合わせた広場で、唐ゼミがテントを建てて公演してたことも、今となっては象徴っぽいかも?
夕闇の熊野神社。の、神楽殿。
ふたりでうろうろしてたら、神楽殿の床下の壁を外して潜り込もうとしてる方がいて。人懐っこい調子でご挨拶して、少しお話する。
これから出初めの練習をするので、梯子をそこから取り出すというのだった。神楽殿の、とっても意外な利用法だわね。
建築科の友人にしてみればちょっと興奮である。まさかまさかの神楽殿下部の内部構造を垣間見られたわけだもの。
そのあと渋谷に回り、や、わたしの中学高校の通学路なのだが今では完全に土地勘を忘れてるエリア。歩けば見覚えがあるなあだけど、当時は神社には無関心だったからね。
金王八幡、稲荷、氷川神社を見て回った。
興味のポイントのあるなしで、こんなにおもしろくなるもんですか?ってところですよ。えええっ、全然気づいてなかったよぉ。
そのあとふたりでオムライスを食べながら、なんでわたしが神話(古事記)にちょっとは詳しいか、カミングアウトする。
だからわたしがひとみんのあとをついて回っているのは、付き合いがいいからではなくて、自分の芝居を書きなおすきっかけになるかもしれないシタゴコロがあるからなんです。ごめん。よろしく。
ちなみに先日の厚木では、隆平Pと話してて久留米の大道芸フェスの話になった。フェスのほうはまだ未分化だけど、九州はいいよぉ~ いいからね~
むむむむ。いよいよ九州に呼ばれてる感が漂い始めたなあ、と感じて、
ひとみん。スタッフとして久留米行くんでしょ。先乗り(前日に現地入り)して周辺の神社見に行かないの? 行きたいよね???
という話になりつつあるわけなのである。
で、今、
わたしが行きたいような神社をネットで見てたら、どうみてもアシ(車)がいる。最終的にはいく場所を決めるのはわたしではないけれど、
来月の19-20。だれか九州でドライバーになってくれないかな~?