あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『葵上』

のうのう能in八ヶ岳
年に1回、わたしがお能を拝見する、初心者向け講座付きのお稽古場公演です。
 
 
今年の演目『葵上』は、いつもより登場人物も多く、少し演劇的であるような。
そして初めて、鬼女/般若のオモテでのお能でした。
目の中を金に塗ってある、若い女性のオモテも、初めてだわね。
 
素敵に古びたオモテをみながら、フト、
ぴかぴかに新しいオモテで演じたらどうなんだろうか?という思いが浮かぶ。
ホラ、
無意識に、
キャラの対比を趣向できないかと考えたんだと思うわ。たぶん。
鬼女や生霊に比べて、生きている巫女は別の生き物に見せたい?みたいな。 
 
 
それより。驚いたのはね。
いよいよ出てきた般若のオモテがね。――やわらかく笑っていた、気がするの。
 
タカダカ オノウ ヨ  アソビナサイ タノシミナサイ みたいな。
 
コスチューム・プレイなのよ。ファンタジーなのよ。ごっこ遊びなのよ。
この世で生きるということは。
 
――みたいな。
 
 
ああそうか。夢幻、ね。
 
 
六条の御息所の情念が、さらさらと。健康で。潔く。軽やかに舞う。夜叉のドラマはまるでない。
 
なので観終わったあとが、妙に浮き浮きと感じられ。
  
とても不思議。
 
 
 
これが、シテの意図する効果なのか――
 
 
鼓のふたりがお若くて、キレのある美しい音ではあるのだけれど、存在が前に出すぎていて。
ときには主張が強すぎ、うるさくて。
 
うーむ。コレはどうなんだろう。と、感じつつ。
 
 
ということが、全体の印象を軽やかにしてしまったということは、あるのかしらん?