あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

対話するからだ

最近、年配の男性とお話する機会が何回かあり、通じて実感したのは、
こちらの話を聞かないよね〜!! なのだった。
 
(わたしの周囲は基本、会話能力の高い方が多いようなので、珍しいといえば珍しい?)

 
 
おひとりなんかは、はじめましてとお会いしての2日目だというのに、
「○○さんはわたしの言葉を聞こうとするつもりがないよねっ!」と
キレてみました。(はははは)
「わたしがそれについて話そうとすると、
 絶対に言葉をかぶせてしゃべらせないじゃないですかっ」
 
さすがに「じゃあ、どうぞ」と、なりましたが、
(じゃあってなんだよっ。じゃあって!!)
 
この方のパフォーマンスがわたしにはイマイチなのは、
気持ちを一方的に押し付けるだけだからなんじゃないの?とか、考えちゃったぃ。
 
 
また、別に。
人付き合いや気配りが苦手だとする
(と、悩んでるのはまだよくて、多くは居直ってる)若い人たちと話してて感じるのは、
 
でもだからって、あきらめるなよな〜 
コミュ障とか言う前に、努力や工夫をしてないというか、
だからどうすればいいのかわからないから、適応障害なのかもしれないけれど、
基本、相手がどういう状態かを想像する、気遣うチカラに欠けてるな、と。
 
(居直っている人には何もいいませんが、 悩んでる人には多少応じてます)
 
 
 
 
で、わたしの中での最近のキーワードが 「対話力」 です。ふむ。
 
 
この場合の「対話」ですが、わたしの感覚ですと、
 
「対等な立場で、相手の主張をよく聞き、自分の考えも伝わるよう、穏やかに話しあうこと」
といった意味だけでなく、
 
「言葉をつかわずに交わせる同様な意思の疎通」や、
「そうできることを前提としたお互いのスタンス」も含まれます。
 
 
日本人に必要なのはディベート(議論・討論)力だ!とか、よく言われるけれど、
 
論理や倫理で相手を否定しよう!とか、叩きのめそう!という「競技力」など、
身につける必要ありますかね?
 
情だけでなんでも解決するのもどうかとは思いますが、
相手の気持ちを汲んで、こちらの気持ちと折り合う接点を探っていく技術のほうが、
よりよい解決を生む気がします。
 
 
 
「言葉を使わずにそれができる」感覚については、出来る人と出来ない人がいて、
相性みたいなものもあるのかしらね。
 
 
話は少しそれますが、
「あげんさんはどういう男がタイプなの?」と訊かれて、
「んん。好きになった人がタイプ?」「それじゃわかんないよっ!」と、
ときどき困っていたのですが。
 
今回。
そっか。言葉を使わなくても多少の会話や意思疎通ができる相手?と、思い当りました。
(え。どういう意味?と思ったアナタ。ご安心を。その時点でわたしの好みから外れてるからwww)
 
 
 
相手と対話する準備のあるからだを持っているか?ということ。
 
わたしが最近、見知らぬ方からニコニコとよく話しかけられるようになったのは、
そのせいじゃないかと思うのですね。
「受け入れてもらえる」感があるんじゃないかしら。
 
 
 
ただし、自分のことだから宣言しちゃうけれど、
100パーのオープンマインドではない、ということもポイントです。
 
鋼より硬い殻で隠された、誰にも明かさない自分のコアを守るための、
防御・攻撃スキルとしての周辺オープンマインドなのです。
だから、依存とか甘えは存在しないのです。礼儀?としての距離感は残る。
 
(甘えに欠けているのは自分のネックだと、それは承知してマス・・・・・・ これはまた別の話) 
 
お互いのコアは尊重すること。そこさえ守られていれば、妥協なんて簡単。 
 
 
 
わたし、なんにも新しいことなんて言ってないよね。
なのに、
なんで世の中では、そんなことすらが滞っているのかしらん。
 
そう思うことが、たくさんありませんか?