あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

ヘブン@宮城2014 復興の具合とか

東京都の被災地支援キャラバンのボランティアスタッフとして、宮城に行ってきましたよ。
パフォーマンス系の裏方するのが大好きですし、今回も楽しくて心温まる、いい旅でした。
 
帰ってきた翌日、いろんな事後処理(主に写真データの速配)をしながら、
なんかホワホワと幸せな気分だなあと思い。
 
あ。今回のメンツは。
女子が少なく男子はやさしい声の癒し系が多く、
なんというか、逆ハーレムというか、に近い雰囲気だったから?
と気づき、
ひとりひとりとコアなお話もできたりして、
この年齢にしてナンテ幸せな人生なんだ?と思わなくもなかったのでした。 (大笑
 
お仕事のほうは、気配り大魔神なふたりで、ちゃんと走る時は走ってましたよ。
 o(ΦωΦ)o ビシッ
 
 
1日目は、
新宿→宮城の大移動と、亘理町仮設住宅にてショーでした。 
住んでらっしゃる、めちゃ明るく元気なおばあちゃんたちは、みんな仲良し。親切。
 
ショーのはじまる前に
おばあちゃんたちをそりゃ大笑いさせながらおしゃべりしていたまことさんが、
するっとわたしに寄ってきて、
「ここ、子どもがひとりかふたりしかいないんだって」と教えてくれる。
 
震災から3年が過ぎて、
仮設から子どものいる家族はいなくなり。高齢者ばかりが残されるのかしらね。
 
そしてわたしは、その中で居心地の良い安定した「村」ができている気がしました。
(とはいえ、あの長屋みたいな建物だからね)
  
橋本Pは仮設があるかぎりこのキャラバンを続けたいとおっしゃってますが、
たぶん、なくならない気がするなぁ。
 
 
宿に向かう夕方のバスの中で、一緒にボラ・スタッフをしてる大ちゃんが、
「どうして仮設がなくならないんだ?」とつぶやくので、
 
高齢者は今さら新しい生活を望まないであろうこと、
(しかもあんなに仲良しになってしまったら、バラける気にはならないでしょうし)
県が新しい住居を用意する事業が思うように進んでいないこと、
→予算がうまくまわせず、建築に必要な技術者にみあう時給が払えない、とか。
を、少し話しました。
 
(金額だけをいうと、「予算を使いきれていない」という言い方になるようですが、
 県の担当者さんたちは仕事を怠けているわけではアリマセン)
 
もしかしたら、高齢者対象の「街づくり」には違う切り口が必要なのかもしれない???
 
 
2日目は、
石巻市仮設住宅(午前)と小学校(午後)でショーを2回。
 
仮設では、駐車場に椅子を運ぶみなさんの手際の良さに、
いよいよ「村」としての団結を感じる。
 
 
それでもね。宮城県海岸南部の亘理石巻は、
仮設住宅以外は、街としてかなりふつうの風景・生活に戻ってきたなぁという印象でした。 
 
 
 
3日目/最終日は県北部の南三陸
 
高速を走りながらバスドライバーさんが、この辺に来ると風景が岩手に近いですよね、とか。
山の形とか、森の木の種類とかが変わってきててね。
 
そして高速を下りたら、なんかね、時計が巻き戻された気分になったんだ。
背筋がのびた。
このあたりは、まだまだ復興がすすんでいないって風景をしていたの。
 
 
ひとつには、あちこちで山や丘を切り崩しては、土を運び、海岸寄りに盛り土しているからで。
海抜を10メートルくらい底上げしたいようで。
 
だから。山と海岸近くがそれぞれ、むき出しの土色をしているせいもある。
 
山を切り崩してる近くには、
切りそろえられた細い木の幹が積まれ、
掘り起こされた根っこの山が濃い色でモヤモヤと広がり、
別の意味でとても痛ましい風景をつくっていた。
 
(このアイディアは、人間の傲慢や浅知恵を象徴しているように思えてならなかった)
 
というわけで、まだまだ 街/人が住む風景 にはほど遠いままなのよ。
 
 
さて。南三陸の山の上の仮設住宅に住む方々は、
素朴、っていえばいいのかな。
話をしてると、おばあちゃまがずっとうちわであおいでいてくださったり、
ショーに反応する箇所も他とはちょっと違ってたり、
(あれ、これじゃダメ? あれ、そこに喰いつく?みたいな)
 
おなじ県でも、つくづく同じには語れないわね。
復興の解釈も違うんだろうな。
 
 
ショーが終わって、
ランチに寄ったのは「南三陸さんさん商店街
仮設住宅の商店街というか、食堂街というか。
平日だというのにすごいにぎわいでした。まことさんいわく「上手な商売してるよね」
 
 
そういえば会場への行きと帰りに、南三陸防災庁舎の脇を通ったのですが、
それぞれ違うバスが停まってて、大勢の人たちがぞろぞろと説明見学しているようでした。
あれは観光?
はい。ランドマークか祈念公園にすべき建物であると思う。
 
 
そんな意味では、復興しきれていないことが経済に繋がっているのか?
とも思ったのでした。
 
 
 
そうそう。わたしの中ではもうひとつ。大きく感じいったことがありました。
 
行きのバスで福島を走り抜けながら、のびのびと青く風になびく田んぼを見て。
土地に対する深い愛情みたいなものを突然、実感したのでした。
 
何故。逃げないのか、住み続けるのか。
わたしの理解では及ばない感覚だと思っていました。
(もちろん、ひとりひとりの選択を尊重すべきという前提です)
 
なんだろう。最初に思ったのは、
(自分の中の感覚で近いとしたら)
 
恋人の性格や様子が変わってしまったからとて、簡単には捨てられないって感情に、
よく似ている?
 
昔と同じではなくなってしまった相手でも、それでも同じように愛着していたい。
キズついた(キズつけた?)相手だからこそ、大切にしていたい。
 
そして、ともにあり、
できれば一緒に復活に向けて、よい方向に向けて、歩いていたい。そんな感情。
違うかもしれないけれど、見当違いだと笑われるかもしれないけれど。
わたしは少し、わかったって気持ちになったの。 
 
 
傷ついた相手だからこそ、捨てられない。抱きしめたい。
愛し続ける――東北の風景 
 
 
(つづきます)