あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

同じだけど 違う

同じ単語も、使う人によって意味がまるで違うネというハナシです。
 
 
先日の池袋の大道芸イベントで橋本Pに、△△ちゃんの新しいショーが素敵!と言ったら、
「いやぁ、まだ○○がある」とお返事されるので、
それは、えーと、つまり、××がないってこと?と訊いたら、
「違う。哲学がない」と。
 
 
むむむむ。
 
 
この場合、わたしの使う哲学という単語と、橋本さんの使う言葉とでは、
微妙に意味が違うんだろうな、と思い。
 
で。考え込んだ。
橋本さんの言う「哲学」って、何を指す???
 
 ( ̄へ ̄) ・・・・・・ うむむむむ
 
    〃 p(´⌒`q) (p´⌒`)q ヾ      o(_ _o) シーーーン
 
 
考え方を変えよう。 
もし、わたしがかの女のショーにリクエストしたいとしたら。何を言うかな。
  
 
 ( ̄▽ ̄)b
 
個性と書いてアクと読む、この世界で他の誰でもない独特のために。
つまり、
ひとりの人間としての深み、拡がり、バックボーン。
 
それを得るために、他人の研究をしてみたらどうかな? ってか?
 
 
自分自身を知るためには、
全然違う、自分と正反対の他人のことを深く知ることが、想像することが、大切だって気がする。
映画とか本とかまんがとかでも、きっかけとしては充分。
  
自分と正反対な人間、ってのにも、いろんなパターンがあるだろうし。
それをひととおり受け入れて、同調してみてからの、ひととおり真似をしてみてからの、
 
それでも。頑として残る、欠点まがい、流儀、祈り。
誰かには、ため息をつきながら嫌われるほどの個性。
 
それは他人を許し、受け入れる(引き込む!)ふところにもなるはず? 
 
 
 
ふむ。橋本さんの言う「大道芸人の哲学」って、このへんの意味なのかなあ???
 
 
 
 
 
日本語同士だから通じ合えてると安心しちゃだめなんだと気づかされたのは、
もじゃくんとの会話でした。
 
 
出会ったころ。対面して話してたときは、
他の誰ともできない質の、めちゃ楽しい会話ができてた(と思う〜)のだけれど、
メールを使ったあたりから、微妙にズレ始め、
 
う。このままでは親子な痴話げんかになりそう? とかwww
(この頃の微妙な距離感が、なんだか周囲のネタにされてたようでウザかったです)
 
 
おかしいな。 
わたしの伝えたい内容が全っ然、伝わっていない。何故?
祐一郎さんとか圭介くんとかには伝わる言葉を使ってるはずなのに?
 
で、気づいたんだ。
お互いの単語の使い方が微妙に違うらしいと。
(対面のときには、相手の反応を見ながら無意識にフォローしあってたんだろうね)
 

そして。 
とっても、もしかしたら、なんだけれど。
ガラパゴスな日本の中で、
沖縄はもうひとつガラパゴスなんじゃないかしら?と思ったんだよね。(これ、失礼になる?)
 
だとしたら、沖縄の人に。
沖縄をしらない人間が、知ったかぶりな言葉で意見しちゃダメじゃんっ!! 
わたしが教えてほしいせっかくのニュアンスが、消えちゃうじゃん!!
 
 
それからは、なんとなく。日常会話はあっても「語りあう言葉」はなくなって、
言葉以外での信頼と興味と問いかけみたいなのだけが残って。
 
わたしは黙って、見続けた。もじゃくんを通して、大道芸って何?ってことは考え続けた。
そしてもじゃくんの、自問自答を見守ってた。
 
そして、 
 
 
なんてことをね、
イケシャアシャアと書いているのは、もう過ぎた笑い話になったかな、と思うからです。 
(だよね?)
 
 
 
こういう相手ってね、ホ〜ントに、人生で数えるほどしか出会えない宝物。
お互いの無防備をさらけ出せる幸せ。 
 
 
 
ちなみに。わたしの無防備を好ましく思いながら、わたしには無防備になれない人って大勢いるな。
残念だね。
 
 
 
【業務連絡】
明日から大泉の家です〜 庭仕事かな〜