昨日。長年の疑問がひとつ、氷解しました。うれしいな。
(さてこれを、ウマク説明できるかな)
(以下、またしても、わかる人にしかわからない文章になると思われます)
たとえば、ずっと。
自分にとって、そのパフォーマンスの好き嫌いのボーダーがどこにあるかわからなかったのです。
役者さんでも、大道芸人さんでも、ダンサーさんでも。
や。わかってはいたか。
出会って数分で答えが出るほど明確なんだから。
でも、他の人にその理由を説明できなかったの。
世間的に評価の高い人でも、わたしにはまるで響いてこないことがたびたびあります。
ああ、お上手なのはわかるけれど、それが何か?みたいに。
自分には、世間とは少し違う目盛りがあるらしい。それを、
感覚的なもの、という価値感でなく、
わたしを感動させる方程式、として明確に説明できるようになりたかったのです。ずっと。
きっかけは、ドラマーのかずくんのつぶやきでした。
少人数講座のお知らせで、グルーヴを実感・共有しましょう。そのためには、みたいな説明だったのですが、
その3回にわたるツイートを読みながらわたしは自然メモをとってました。
トランス → 交流 → グルーヴ
書いたメモをながめました。
ながめながら、うわぁぁぁっと叫び出したくなりました。
はい。これが今回しみじみと得た、答えです。
これが、人を感動させる道順、方程式。
まず言葉の説明。わたしの中で解釈している意味合いはこんな感じです。
トランス → 感覚が少し麻痺した、非日常な状態。
交流 → (もしかしたら劇団四季特有の言い方?) つまりアイコンタクト。
グルーヴ → 演奏中に得る高揚感、一体感。
具体的に言うと、
わたしが一部のミュージカルやコンテンポラリーダンスや、ひびちゃずけのライプとかで得る満足感。
この道順に例えれば、
『TDV』というミュージカルが熱いリピーターをつくった理由や、
その後、いくつかの舞台が「祝祭劇」と銘打って上演されたけれど、そのからぶり感や、
もじゃくんのショーがうまく嵌まったときに漂う、みんなでいつまでも見続けていたい感や、
自分が陶酔?するときの心の構造に説明がつく!ことに気づいたのでした。
ポイントは、トランス中の交流なのかな。
と、思い出したのは、
はじめて開次さんの舞台を観たときも、かわいらしい振り付けににこにこしてたら、ちょっとびっくりするほど一度視線がガツンとからみあって(互いに初対面です)。
あ。この人は、客席のひとりひとりを見て、感じて踊っているらしい?みたいな。
ただ見回すと、それを受け止め投げ返している観客は、全員とは限らないみたいだな、モッタイナイ、とか。
とにかく、あそこから。ひとつの歴史がはじまっちゃったんだ。 ――
どんなに世間で評価された実力の持ち主でも、世界的な賞に値する技術でも、
見物(わたし)と気持ちを無邪気に交流させていなければ、
一方的に技術や感情を垂れ流されているだけでは、
どうやら、わたしの気持ちを揺さぶることはできないらしい。
もしくは、技術やひとりよがりばかりを振り回されるのが鼻について、ドン引きして
トランス状態に入りそびれるのかもしれない。
ふむ。
で、思考は次に移って。
では自分が人を感動させるには、この流れをつくればいいわけだけれど。
笑笑笑笑っ
問題は、
客席をトランス状態にするために、具体的に、どうもっていくかだわね。
感覚を少し麻痺させるためには、
圧倒的に世界をひきいれるためには、実際にどうすればいい?
それができたら、パフォーマーは相手の懐に飛び込んで。
(さて、これができない人がまた多いわけだが)
一緒の波長を増幅できれば、
本来の祝祭劇が出来上がるわけだわねっ。
ほらね。
わかってしまえば、言うは易しい。 次は?