先月はツタヤディスカスが旧作100円祭りで、
なんとなく気になったまま観てない映画をいくつか借りる。
送料分割高ではあるけれど期間は1ヶ月なので、
慌てて観ないで済むのがわたしのペースにあっているの。
GENさんがお正月だかに観た映画リストの中から、
(いろんな人に最近、何を観た?読んだ?と訊くことで、自分のエリア拡大をする)
この間は『ライフ・イズ・ミラクル』を観て、
(不思議な映画で、観てるときはチト退屈で突っ込みどころも満載だったけど、後からじわじわじわっとクる)
(セルビア語・クロアチア語です)
そしておとといは、
『ノートルダムのせむし男』を観る。白黒トーキー。
ディズニーの『ノートルダムの鐘』や、四季のジーザス演出はこれが出発点みたい?
ちなみに、わたしが『ノートルダムのせむし男』のこども版を読んだのは小学生のときで、
そのあと80年代前後かな。
もう一度読みたいと思い出したときには、
差別用語に異様に敏感な世の中だったせいか小説も映画も抹殺状態でした。
今みたいにネットがなかったしね。自分の行動範囲、交友関係からしか情報は得られなかった時代。
たぶんディズニーがアニメ化して、日本では解禁になった気がするんだけれど?
アニメやミュージカルではぴんとこなかったけれど、この映画では、
最初に読んだときに感じた、子供心なりの哀しさや答えの出ない不条理の感触が甦りました。
小学生なりにいろいろと哀しかったのよ。
世の中には答えの出ない問題があるとか、いい人にはなりきれない自分ともむきあったし。
つまり、
どんなに考えても、カジモドを恋人に選べない自分のことだけど。友人以上には選べない。
自分の心をいろんな角度から眺めて惑うというのも、初めての経験だったのね。
自分で自分がショックだったわ。みてくれに偏見は持っていないつもりだったから。
でもね、この悩みは。
わたしをずいぶん豊かにしてくれた気がするのよね。
差別に敏感になった各種表現が、失ってしまった(毒を抜かれた)、ちょっと暗い、何かってあるわ。
上澄みだけではない、振り幅みたいなもの。混沌、下卑、生命エネルギー?
今の子どもたちはそこを味わえないことで、価値感が薄っぺらくなってないかしら?
同じ原作でも、アニメやミュージカルには、ない感覚よ。
それでも、この映画さえ、
ハリウッド的な正義感がいくつも振り回されてて、笑っちゃったけれど。
ま。ご愛嬌のうちってことで。
それから、なんで観よう!と思ったのかは忘れたのだけれど、
無声映画の『チート』を観たの。
白黒の、無声映画の、この怖さは何だろうね。
ヒロインが知り合いの株情報に心動かされるシーンでは、ばくばくし過ぎて映画止めちゃったよ!
早川雪洲サンは『戦場にかける橋』しか知らなかったので、その色気(歌舞伎の流し目?)にノックダウンだし。
こういうSっぽい目つきや、エキセントリックも、最近では薄味になってるかもしれないわね。
人間はみんな平等で、みんな同じ価値感って思想のせいかな?
昨日観たのは、まず『カポーティ』
いろんな意味ですごい映画でした。
いきなりのイントロがきれいだし、
テキストも人間の怖さにびっくりしたし、(こういう怖さを主人公にヤらせるって、大胆だわ)
役者さんたちの芝居の質にもぶるぶるきたし、
ゲイの表現が上品で、ここもステキ。
ってか、かれがこんなキャラとは知らなかったので、
『ティファニー・・・』も『冷血』も『クリスマスの・・・』みたいな短編も、全部読み直したくなったわ。
まさか、こんな人が書いてたなんて?
『バルスーズ』は思い違いで借りてしまったの。
大学生の頃、偶然深夜TV映画で観た、
ドパルデューの、三角関係の――といううろ覚えで、
観始めて1分で、違うし失敗した!と思ったけれど、
レビューにあった後半がおもしろいというのを信じて、観ました。
はい。後半に出てきたジャンヌ・モローがめちゃかっこよくて、3Pシーンがわくわくで(危ない?)、
ジャンヌ・モローをみつめてる若きドパルデューがよかったわ。
で、どうやらわたしが観たいのは『タキシード』らしくて、
でもDVD化はされてないのでディスカスにはなくて、
んん、明日、お店のほうに行って探してみることにしました。
フランス映画の面白がり方と出会わせてもらった映画です。
ドパルデューのおなかが出たヌードにもびっくりしたし、(映画でみせるモノか?)
汚い女装にもびっくりしたし(なんでこれが、ありなの?)。
ぐだぐだなテキストだし?
でも魅力的だった。
その直後にドパルデューを追いかけて観た『グリーン・カード』(←ハリウッド・ラブコメ)にはがっかりして。
さて、(観られたとしたら)どんな再会になるかしら?