さっきNHKニュースで。
市民活動として映画を制作する、そのオーディションがありましたと紹介するのはいいんだけれど、
参加者が「熱演」していました。
と、あまりにも繰り返すので、
ニュースのお約束な言い回しとはいえ、
――失笑しました。すみません。
はい。
昨今の流行り、特に特に映画での演技は、「いかに熱演しないか」がテーマです。
こういう無神経って、こちらの神経にざらっと来る。
でも多くの視聴者は自然な表現として聞き流すとこなんだろうな。と、ざらざらざらっ
ホントウの熱演がどんなに静かか、とか気にしないんだろうな。と、
σ( ̄、 ̄=) マ、イッカ
そのあと。
困難を抱えた創作者の特番があり、
お約束な言い回しで、困難にもかかわらず立ち向かう凄まじさが語られ、
わたしはへそまがりなので、
自分は困難を抱えないゆえにろくな創作ができないのであろうかと、
スッカリいじける。
困難があるほど情熱は純化される。それはある意味、幸福なのではないかと思ってしまう。
数日前のこと。
自分の抱えたトラウマ(の一つ)は承知していて、長い手間をかけて克服してきたわけだが、
今さらその原因を思い知らされた。
わたしはとても動揺した。台所に立ちながらひっそりと涙した。
地雷を踏むとはよく言ったものだ。だが踏んだ本人はそれを気づいていない。
あなたのせいだと問い詰めることではないナと思ったとき、
自分の動揺の捌け口が閉ざされたことに気づく。
そしてね。
その感情を、わたしは数日かけて、昇華させたの。
いつか、ごくごく親しい相手には打ち明けるかもしれないけれど、
そのときは大泣きするのだろうけれど、
とりあえず今、自分の中でバランスはとれたから。大丈夫、大丈夫だよ。
そして思った。
ここで上手にバランスをとっちゃうから、
わたしは創作の詰めが甘いんだろうな。
わたしはつくづく「苦悩」ができない体質なんだわ。
σ( ̄、 ̄=) ヤレヤレダゼ……
さて。
今年の3月が 終わろうとしているわ .。.:*☆ :
というわけで。
自分を追い込むコトをテーマにしている人。
♪よかったら語り合いましょう♪
とか。