あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

春の憂鬱

 
 
ときどき虚無感に支配されて。
 
 
 
10代20代じゃあるまいし、とか言われそうだけれど。50過ぎても、未だにある。
何の原因もなくただ、人生も人間関係も社会も、つまりわたし自身が、虚しくなる。
 
これはもう、人生に失敗したwとか社会に負けたwとか、
今の自分をやり直したいという意味ではなくて、
世の中や人間がくだらないにも程があろうという意味でもなくて、
 
今の自分は充分に上出来だ!とわかったうえでの、虚無。
 
 
 
無力感、って言ってもいいのか?
 
 
 
バイオリズムのうちだと理解して、やり過ごすしかないとか。
 
今の季節だったら、春のせいにするとか。
空気がどこか、ざわざわと春めいて、
命がむずむずと芽吹こうと構えているくせに、
自分のからだや心の奥や、細い指先が、シーンと冷たい季節のせいだってね。
 
 
 
人に相談してみたところで。
自分がそういう状態の他人に何と声をかけるかと、考える以上の言葉を、
もらえるとも思えないしな。
たぶん、そんな相手の心理を逆に分析して、
感じよくするか撥ね付けるかを選んで対応しかねない、やっかい性格です。
 
 
 
ただね、もうね、若かった頃みたいには。そんなに辛くはないんだ。
虚無感や無力感は、自分の一部になっているのかな。
 
そういうのも、あるがままの自分だと思う。
 
そして大切なのは。
これが自分だけじゃないとキチンと知っていること。
自分が指折り数えて大切にしている、愛している人たち(←複数形です)。
わずかだけど、ちゃんといる。
 
その部分で、静かにお互いに響きあっている。だから――大丈夫。
 
 
 
無力感に支配されてる自分は、ある意味、撓んでいるだけなんだ。
理想を砕かれ、現実を突きつけられて。
次の表現力に向かって立ち尽くしている、だけ。
 
撓み続けると、ほんの一瞬だけ開放と発見がある。そこが大切。
 
だから虚無や無力も、ちゃんと受け止める。
 
 
  
 
 
春の虚無感の向こう側には。
わかるかなぁ、
美しさが仄見えている気がするの。
 
たぶんそれは、とても桜の樹に似ていると思うわ。