ときどき虚無感に支配されて。
10代20代じゃあるまいし、とか言われそうだけれど。50過ぎても、未だにある。
何の原因もなくただ、人生も人間関係も社会も、つまりわたし自身が、虚しくなる。
これはもう、人生に失敗したwとか社会に負けたwとか、
今の自分をやり直したいという意味ではなくて、
世の中や人間がくだらないにも程があろうという意味でもなくて、
今の自分は充分に上出来だ!とわかったうえでの、虚無。
無力感、って言ってもいいのか?
バイオリズムのうちだと理解して、やり過ごすしかないとか。
今の季節だったら、春のせいにするとか。
空気がどこか、ざわざわと春めいて、
命がむずむずと芽吹こうと構えているくせに、
自分のからだや心の奥や、細い指先が、シーンと冷たい季節のせいだってね。
人に相談してみたところで。
自分がそういう状態の他人に何と声をかけるかと、考える以上の言葉を、
もらえるとも思えないしな。
たぶん、そんな相手の心理を逆に分析して、
感じよくするか撥ね付けるかを選んで対応しかねない、やっかい性格です。
ただね、もうね、若かった頃みたいには。そんなに辛くはないんだ。
虚無感や無力感は、自分の一部になっているのかな。
そういうのも、あるがままの自分だと思う。
そして大切なのは。
これが自分だけじゃないとキチンと知っていること。
自分が指折り数えて大切にしている、愛している人たち(←複数形です)。
わずかだけど、ちゃんといる。
その部分で、静かにお互いに響きあっている。だから――大丈夫。
無力感に支配されてる自分は、ある意味、撓んでいるだけなんだ。
理想を砕かれ、現実を突きつけられて。
次の表現力に向かって立ち尽くしている、だけ。
撓み続けると、ほんの一瞬だけ開放と発見がある。そこが大切。
だから虚無や無力も、ちゃんと受け止める。
春の虚無感の向こう側には。
わかるかなぁ、
美しさが仄見えている気がするの。
たぶんそれは、とても桜の樹に似ていると思うわ。