なんだかとても「懐かしい」ような舞台でした。
演出・山田さんの昭和の大衆文化、というよりかは芸術座(シアタークリエの前身)へのオマージュを感じました。
ホントに懐かしいタイプの、芸術座っぽい舞台で。
音楽劇というより、歌謡ショー。確信犯として。
今どきありえないような説明台詞だけによる構成でしたね。スターさんのお着替えタイムをたたき出すための時間。
昔はたいくつだな〜と感じてた台詞まわしを、
今のわたしは、
息継ぎひとつでシーンや気持ちを切り替えて魅せる役者さんの技術として感心しました。
台詞のタイミングだけでくすっと笑わせる技術も、古風で懐かしかったです。
(初日のせいもあってか)客席にはご年配な方が多く、
そりゃあ、越路さんと岩谷さんのお話ですものね。
わたしが「ぅくっ」と吹いた台詞。他のお客さまの無反応ぶりは、
ミュージカルに馴染みがない方々だからなのか、ご年配ゆえの反応のおっとりからなのか、
未知ですが。わたしはちゃんとウケたよ、山田さん。
(ちなみにこの大先生は、先生と呼ばれることを拒否されます)
で、そんな「年寄り」たちのためのメモリアル公演に、
おつきあいくださったせなさん、
お若いのにありがとうネ、という気分でした。笑笑っ 他のお若いキャストさんたちも、ですね。
せなさんが、ときどき越路さんに見えて、ぎょっとさせられました。がんばったなぁ。
難しい役どころだったと思います。
ドキュメント風までとは言わないけれど、フィクションとしては書かれていない作品で。
わたしが1回だけ越路さんの舞台を拝見しているということは、
それ以上の年齢の方々はもっともっと観ていらっしゃるわけで、その方々の前で、
「越路吹雪」を演じるんですもの。
越路さんの歌い方をそのまんまなぞって歌う箇所と、
たぶん、演じているご自分の感情で歌う箇所と、両方みせてもらったのかな?と思うのですが。
で、実は「パダンパダン」や「誰もいない海」がステキだったよ〜と。
大先生は、ご自分の計算内だとおっしゃるのだろうなぁ、とか。
わたしが知る前の越路吹雪が、時代の中でどういう立ち位置でいたのかがわかった気がしました。
あこがれで、希望であった意味。
そんな存在でありつづけるための、意地や決意や恐怖。
なんかね、
作品としての良し悪しとかを語る舞台ではないと思うのです。
メモリアルとかオマージュとか、そういう舞台があってもいいのかな、と。
幕切れで、客席がすすり泣くのは、
せなさんの演技が半分と、越路さんとの想い出が甦るのが半分ですよね。
年寄りたちにはかけがえのない、大切な空間なのかなと思いました。
わたしも泣きましたよ。せなさんの演技だけに泣いてない自分を失礼にも感じ、
そんな奇妙な感覚も残りましたけれど、たぶん、この空間には意味がある。そう思ったのです。
演劇って、不思議ですね。
正解はたくさん、ある。
二幕めに入って、この進み具合ではわたしの知る時代に到達しない?とあせり、
あ、そっか。
東宝プロデュースの舞台ってことは、東宝時代しか描か(け)ないってことか、という残念に気づいたのでした。
わたしが知ってるのは、TVのショーと四季とかかわった最後の舞台です。
ロングリサイタルでは、当時四季にいた鹿賀さんもアンサンブルをされたはずで、
四季の役者さんたちが、舞台の上での音楽的な感覚を勉強できたという意味で、
越路吹雪は四季ミュージカルの恩人であったし、
ご本人も四季のミュージカルに出演したことで「演技する」ことに目覚められたのだと、
聞いた(読んだ?)記憶があります。
それが、「演出、浅利慶太」の台詞にこめられてるバックボーン、ですね。
もうひとつ思い出すのは、ロングリサイタルを演出した御大の言葉です。
「構成の8割は、お馴染みの曲にしないとお客は納得しない。たっぷりと聴かせるとはそういうことだ。だが2割は冒険をしないと、表現者として意味がない」
そういえば、先日発掘したビデオの中には渋谷さんも少し映ってらしたんですよ。
そのせいもあって、
かれもチャーミングなお芝居をなさっていたけれど、や、そうなんだけど、
渋谷さんのお人柄の大きさはちょっと違うのよ〜 と思ってみてました。
ホラね。現存された方を演じるってむずかしい。
そだ。
せなさんの語尾と斉藤さんの口調が、なんともいえず、すんごくステキでした。
台詞の内容とは別に、ニュアンスだけでその人の魅力って立ち上げられるんだなぁと気づかされました。
あとね。
「エスプリ」って、今となっては死語だけれど、そのぶんどきりとしました。懐かしい感覚の言葉です。
でもこれは、今後、掘り起こしてもいい感覚かもしれない?
だらだらと書いてしまいました。
とりあえず。楽しく懐かしい時間をどうもありがとうございました。