あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

神の御使い

(デリケートな出来事なので、書くか迷ったのだけれど。忘れたくないので)

 

小児病棟で。

廊下にいたとき、戻ってきたストレッチャーがあった。
乗せられていたこどもは、

なんて言えばいいのだろう。

生きている意味とか、
何故そこまでして生きなければいけないのかとかを、
問いただされるような、様子だったの。

 

言葉を失うって言い方をするけれど、
言葉以前に感情をも失われるって感覚を、はじめて知る。

言葉も感情も失ったわたしは、
そのこどもの存在をそのまま、ただ受け入れたいと思い、
自分のからだに光を宿すイメージですれ違う。

うしろから付き添ってらしたおとうさまらしい方が、
にっこりと「こんにちは」と頭を下げられた。
(青いエプロンに、ボランティアスタッフだとおわかりだったのでしょう)
その自然でやわらかな笑顔に、わたしはまた心打たれる。

おとうさまは、このコが生きていることに感謝しているのだわ、と思う。
そしてわたしは。
たまたますれ違って小声で挨拶を交わした、見知らぬ方の心の安らかさを、願う。
ホントウに、心底、願う。

哀しみをぬぐうことはできないでしょう。
せめてこれ以上は苦しまずに過ごされますように。

 

 

キリスト教の言い回しにある、
「神さまに愛されたこども」という意味が、初めてわかった気がした。

あらゆる尊厳を取り去られて、生きているこどもは。
ただそこにいるだけで、
わたしたちに、愛することや生きることをシンプルに強く問いかける。

 

何故そこまでして生きなければいけないのか、という書き方をしてしまったけれど、
あのコが生きている意味は、確実にある。

ご家族は、キビシイ想いをくぐられていると思う。

お医者だって、生きながらえさせることを問い続けながら、
治療にあたっているのではないかと思う。

そんな。シンプルだけれど複雑な、美しい存在。 無言で問い続ける天使。

 

最後に残った光に似た感情を言葉にすると、 「感謝」 が一番近い気がする。
わたしは、
あの父子から、そんな光のような微熱をおすそ分けしてもらった。