あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

自分に問いかける

ときどき、自分に問いかけるの。
 
わたしは震災の準備を、水なり食料なりをそれ以外を、それなりに用意している。
用意しているつもりでも、それなりに穴はあるのだろうなと思う。
 
いざというとき。
他の人と補い合いながら、向き合えるとは思うのだけれど。
 
さて。
 
なんの用意もしていない人のフォローをも、自分はできるのかな、と。
自分への問いは、そこです。
 
 
 
これだけのことがあって、未だに用意していない意識レベルの低さに、
たぶんわたしは怒りを覚えると思う。
 
でも人として、困っている人のフォローは同等にするのだろう。
頼ってきた友人なら、まだ受け入れられると思うの。一緒に生き延びようねと、考えられる。
でも、じゃあ、赤の他人は?
 
こどもなら、受け入れられるわね。
高齢者は? 大勢の赤の他人は? 
 
少ない食料を、未来が見えないまま、
何の用意もしていなかった人たちと、大勢の人たちと、
 
自分は分け合えるか???
 
 
 
なにかの拍子に、考え込む。
 
 
 
自分がひとりの場合。
 
護るべき人が一緒にいる場合。
生かす人の優先順位を、わたしは考えるのだろうな。
 
 
 
命の重さは同等だ、ナンテ嘘だわね。
優先順位はあるわ。エゴだわ。でもそれを、愛っていうのよね、たぶん。
 
 
 
それとも、――それとも?
 
あとは、その場になってみないとわからないわね。
 
 
 
 
 
 
ん。
 
震災のあと、とは限らないわね。
今、このとき。
 
自分はたくさんの見ない振り、気づかない振りをしているわ。
自分の心地よさを優先するために。
 
 
 
でもね、それが生きるってことで。卑怯ではない。それが同等ってことだと、
最近、思えるようになってきた。
 
と、思うわ。
 
――たぶん、ね。