(このブログ、きちんとカテゴリーわけをしているわけでもないのですが。
「創る」の場合は読む人によって、トリガーになるか、なんじゃこれ???となるか、
分かれると思います。
はい。この先の文章もだわね)
「イリュージョン」という単語が今までと少し違う意味を帯びてきたのは、先週でした。
ん。あの曲名だとの前提で読んで大丈夫です。
えーとね。
大掛かりなマジックショーのことを最近はイリュージョンって言うでしょう。
あのショーの、物理的な部分は除いて、
世界観というか、精神性な部分というか、心意気というか、
そのへんだけを抽出したイメージ。
別の世界、異次元に引き入れる魔法という意味だが、ファンタジーではなくて、リアル。
そんな手触り。
よくわかんない?
もじゃの大道芸を見て家に帰り、CDを流したとき。
聴きなれてると思っていた「イリュージョン」(ドイツ語版のほうです)が、チョット違って聴こえてきたのでした。
もじゃがみせてくれた空間が、イリュージョンだったという意識が少しあったのかもしれない。
構成の内容というより、公園の人々を巻き込んだささやかな熱狂のような雰囲気のことね。
錬金術師の歌う「イリュージョン」なんだから、マジックショーをイメージしているんだろうな、とは思っていましたが。
この日は、そのあとに続く曲も(ドイツ語版のほうね)、サーカスのように聴こえだしたのですよ。
ふーん。そっかあ。
トロさんがあそこで繰り広げていた一大絵巻は、サーカスだったのか。
という視線を持つと、世界観とか解釈とかにズレが見えてきて。
曲の向こうに見える景色が、ちがったものになってきて。
でも日本版の幕切れでの、あの赤い紙ふぶきにだけはリンクして。ほら、サーカスっぽいといえば、いえるでしょ?(強引かしらね)
ちょっとわくわくしました。
という流れのあとに、「イリュージョン」という言葉を振り返ると、
パフォーマンスとイリュージョンという言葉の近さに、どきどきしはじめたのです。
ダーク・イリュージョンって分野、つくれないかな?みたいな。
ふぅ。説明、むずかしいな。伝わるか、自信ないかも、です。(チョット気弱)
追加/
さっき観た中国映画は『運命の子』。
副題に、sacrificeとあり、いけにえとか犠牲とかそんな意味。
すごい映画で。娯楽作品として作られながら、
行間というのか?直に語られない部分に、刹那い祈りが厚く降り積もってくる。
という見方を、どれだけの人がするのだろう?