屋久島ツアーの打ち合わせに、夕方から友人デジマが来る。
明日、若いのらが来てピザパーティだと言ったら、2日続けて客料理作るのは気の毒だと。
まい泉のお弁当を持ってきてくれる。
わたしは、出先の帰りがてらにシーキューブのティラミスを買い、
らくちんデイナー。
が。
しゃべり倒しているうちに、わたしだけ、おそらく食べすぎが原因の胃もたれを起こす。
普段の質素な食生活には重すぎるメニューだったらしい?
デジマは平然としてる。お気の毒にと大笑いされた。く、くやしぃ。
明日のために焼いたキッシュを2切れ持たせて、帰した。
あとから気づいたが、しゃべるのに夢中でからだが冷えてたみたい。
う。恒例の胃炎を起こしかけてたのか? お風呂であったまったら治りました。
これまで大道芸に興味を示したことのないかの女に、
本日の訪問予定を一時間押しにしてもらったのは、実はもじゃの大道芸を見るためだったのだと告白して。
その、すばらしかった一時間について、語る。
わたしは遠く離れて眺めていたこと。
もじゃさんが、だだっぴろい広場の人々を、一時間かけて少しずつ少しずつあたため、集中をひきつけ、
最後には取り囲まれて、拍手喝采。我先にと投げ銭をもらっていたこと。
乳母車のママが、お財布から百円玉のあるだけを拾い出して投げ銭にしていた風景。
ついでに先日のdaichiさんとおまわりさん+めりちゃんの風景とか。
デジマは先日、TVで開次さんをみて、
わたしが言う「空間を制するからだ」という意味が、
ほんのほんの少しだけわかった気がしたんだって。
「でもわたしはセンスがないから、その先はわかんないんだろうなぁ」とか、言いやがる。
こっちは、ちょっと待て。という気分だ。
かの女は、大道芸よりも。
わたしが見知らぬ人々と次々とお友だちになってることに興味を持ってるみたいで。
初対面と何を話題におしゃべりするの?とか。
これも、ちょっと待て!だよ。
わたしのとなりにいる人が、そんな発言するなんて、ゆゆゆ許せませぬ。
ふははははっ。
機会があったら連れまわす友人、その2だわね。
「気持ちを開いて」いるんだと思う。と説明する。
特に病院でボランティアをしているとき、わたしは360度の方向に対してウェルカムですって気持ちでいるの。気軽にお声をかけてくださいね。
それがスッカリと身についてしまったみたいでね。
病院でも街中でも、
見知らぬお年寄りやちっちゃなコがにこにこと寄って来るわよ。
話しかけてくださるのよ。
「あ、ちょっとわかった気がする」 よし。次は実技だな。「え?」
ときどきさ。「(歌などを通して)人を笑顔にしたい」って言う人いるわよね。
ざけんな、そんなんでギャラをいただくつもりですか?と最近、思うの。
こちらを見ただけで相手が笑顔にならなかったら、それはニセの笑顔だわ。
そして笑顔なんてのは、ギャラをいただくほどのものではないわ。
あたりまえな、基本的な、モノよ。
でもね。悲しいわね。
両方が気持ちに鎧をまとっているから、そんな価値感もまかり通っちゃうんだわ。と思う。
貧しいわね。
ふぅぅ。
以前このブログに、
簡単にハグできるコとできない人がいるのは何故?と書いたけれど。
あっさりとハグできるのは、わたしに対して気持ちを開いているコたちなんだと思う。
ご本人はお友だちスタンスのつもりでも、気持ちに鎧をまとっている人は、
わたしも察して抱き寄せかねてるんだろうな。
実はハグでも、
肩にユルク腕をまわすだけの人と、
ほんとにぎゅうっする人と、います。(ときどきノーブラでwww)
やっぱ、むずかしいコトなのかしら。
そっかその前に。
「気持ちを開いて」「笑顔をかわす」ことが大切だと思うか?という価値感の判定が必要か。
必要ない? 邪魔、だという考え方もあるのかな?