昨日のdaichiさん@井の頭公園の映像です。
(1回目のだから、おまわりさんは入ってません)
↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=zy2NBADU1q4&feature=autoplay&list=UUBFcx49U_D7TEO5Mf0hozkw&playnext=1
さて、どう見える?
フレームで切取られると主役が確定して見えるから。現場より違和感が消えるみたい。
わたしはね、15メートルぐらいより近寄れなかったのよ。
だからフレームには入ってないわ。
遠くから眺めながら歩いてきて、かれのからだが舞台と設定しているぎりぎりの空間が、
そのへんだと感じたの。
座って見ているうちに自分の周辺も、舞台として取り込まれていく感覚もあったんだけど。
通行人さんたちは
無頓着に、わたしは舞台だと感じた空間にズカズカ入って、通り過ぎてくわね。
近代日本人のコミュニュケーション能力の衰えが言われて久しいけれど、
こういう、
お互いの持つ空間認識への無頓着は、あんまり問題視されないわね。
そうね。おまわりさんも「街」の一部だわ。
そうね。daichiさんの違和感が、街を動かしたってことだわね。
おまわりさんは「街」のコミュニュケーション・ツールとしての役割りを持っているってことかしら。
(あのね、皮肉ですから)
(ねえねえ。キムさんが一時期やろうとしてた方向性も、こっちだったのかな?)
わたしがはじめてdaichiさんをみたのは、コメディ+『ピアノマン』@丸の内
これはズットなじみやすい、わかりやすい世界観。
中性的なシルエットも含めて、妖精みたいだなぁとうっとりしました。
↓↓↓ 映像は先日の三茶de大道芸のときの。
http://www.youtube.com/watch?v=2JDo5PnTGwY&feature=bf_prev&list=UUBFcx49U_D7TEO5Mf0hozkw
これだったら、もっと。
パフォーマンスだと、作品だと、社会に認知してもらえるわけだけれど。
daichiさんは、そぎ落とした先の先を見ているのかな? ハラハラワクワク……