半年にわたるミュージカル『エリザベート』4大都市公演の、大千穐楽(※)前日のマチネを観ました。いろんな感動と出逢う。
※ 劇場では千秋楽の「秋」の「火」(出火)を嫌って、縁起のいい「亀」に書き換えます。
今の演劇界の中で、この規模の完成度をどれだけがつくれるだろう。
商業演劇という反目のせいで、演劇人だと名乗りながらも実感できてる演劇人は少ないだろうし、発奮する団体はもっといないんだろうな。(残念ね)
ロングランを通して。
その間ずっと、キャスト・スタッフは研鑽に研鑽を重ね続けて。
技術とストイックな喜びをこの半年間、具体的に分かち合いながら。
とろりとした濃い空気と人間のテーマが、新しくくっきりと浮かび上がってきていたのですよ。
新しいテーマ。
初演の頃は、スペクタルなラブ・ロマンスと女子の自立、がテーマでした。
それから、公演を重ねるごとに、いろいろな人間のかげりや気持ちが見え隠れしはじめて。
先日はね。
キャスト同士間の芝居が、ひとつひとつていねいに濃く立ち上がってきてて、
だからこそ、
深い絆がほしいと願いながらも孤立せざるえない、人間の業が香りたち、
そこに存在しているけれども、押し付けがましくはなく。
最後にトートの世界に抱きとめられたとき、救われるというエンディングに繋がっていってました。
トートが何を意味するかは、その人ごとの解釈になるんでしょうね。
特筆したいのは、シシィとパパとルドルフ。新しい世界を魅せてもらいました。
2幕の今井パパ!と、せなさんシシィ。
不協和音が和音にきこえるほど、父の愛に溢れてて。むなしく消えて。
それを受け入れられないシシィの孤独が際立って。
そのあとのボートのシーンにつながるあきらめと、孤高への到達――
(ToT) ウルウルウルウル
他のキャスティングの日だと、また違うのかな。ん、違うんだろうな。
わたしが観た回では、トートさまが最初の2曲で自分の空気感をぐぐぅっと劇場に張り巡らせてて、あ、自分のペースに塗り替えたぁ!って感じたもの。
(こういう呼吸も読めるようになりました)
とにかく。
よくぞまぁ。ここまでたどり着いたなぁ、と。震える気持ちで観ていましたよ。
この実りが、他のミュージカルにもこぼれていけば。
舞台は愛される芸術へと復活できそうだわ!
にしても。
梅田メインホール。でかいな。ミュージカルをやる空間か?
日本では、これがサイズ、か。
最新の劇場(渋谷駅前)設計が、いかに素人さんかびっくり!という話を聞いたばかりなんですが。
(↑↑はミュージカル劇場と謳っているけれど、たぶん数年後にはコンサートホールねと思った)
基礎勉強しなくても、自分には出来ると思い違いができるのが日本人。
観る側はね。感性で楽しんでくれればいいと思うのよ。勉強する必要なんかない。
楽しくなってくれば、勝手に学び始めるでしょうし。
でも創る側はね。
日本人は宗教を持てないように、教えを乞うことが苦手なのかも。と思う。
でもね。
逆に、その巨大空間に届く芝居が細やかにできる人たち(集団って言いたいけれど、プロダクションがばらけたら終わりだものね)が育ってきてるすごさ。
できた人というのは、教えを乞い、自分を研鑽できる人だわねって皮肉。
それでも、その中で。
わがまま言わずに。愛するものを愛していくしかないんだわね。