橋本Pとバカ話をしていると、周囲の若いコたちが「オトナの会話だなぁ…」と感心してくれる。
あー言えばこー言うって共鳴を楽しむ言葉遊びに近いンだが。
これも失われていく日本語のうちなのかしら。
おとといもお会いする機会があり。
池袋のゲーゲキ前の広場の、低い柵に並んで座りながら。
昨日ね、最近日中関係がアブないけれど、中国雑技とかの公演はどうなるのかなって訊かれたから、ないないない、政治と芸能は別だから!って応えたんだけど。
と、事後確認をとる。
(あ。さっき拾い読みした噂だと、軍人たちが私服で扇動しているのだとか? まじ??)
そして。キナくさくなった政治と別の場所で、人と人とをつなぐのが
文化・芸能の役目でしょうよという話になる。
あのね。
日中関係もだし、米映画に対するイスラム教徒の暴動もだけれど。
どーなっちゃうの?って感じの、最近の世界中を覆うぎすぎすした感情を
手早く説得できるツールってなんだろう?って考えてたら、
〈歌〉かな?って思ったんですよね。ちょっとファンタジーすぎる発想?
「いや、芸能の持つ本来のチカラはそこでしょう」
(ここで、他の方が橋本Pに声をかけてご挨拶され、会話が途切れる)
続きね。
で、そういう〈歌〉の持つ役割りを考えていたら、
〈花〉の役割りも近いものがあるなぁって思ってね。
(三茶de大道芸の)今年のテーマの〈花〉って深いなぁって、日に日に思うの。
「そこまで考えるのは、あなたぐらいでしょうよ」
深読みも才能のうち?だから。
「あははは。そこだねぇ」
(あとになって考えると、
2年前のミュージカルで自分はそういう歌詞を書いていたりするのだった。
(+o+)\(-_-メ)…… 自分で自分に突っ込みっ)
ちなみに、最近読んでいる本はコレです。
読み終わる前に感想を書くの、あぶないかな。
饗宴外交「ワインと料理で世界はまわる」 |
少し以前までの外交の在り方がなんとなくわかる。
(現在が、このまま通用するとは思えないケド)
当時の自民党の持っていた外交能力。文化意識。
今の日本の政治家には?と溜め息がでちゃう。
一方、危機体制な現在は愚鈍な政治力のほうが要るか、と考えたりもする。
そして、
ひとつずつひとつずつ積み重ねた奇跡のようなフランスとの外交を、脱原発を通して踏みにじることになるのかな、とか。
時の流れの無残に、少しだけ哀愁を感じる。
熟れた果実がこぼれてくずれる寸前の、日本と。
みずみずしく一面にひろがる青田のような、日本と。
わたしにはふたつの風景が、重なって見えている。
日常のようで。今はたぶん、そんな流れの中なのね。