カテゴリーに「大震災」を選びながら、恐ろしいことに、
東京の日常に戻った自分の中で、
言葉が風化しかけていること気づき、ガクゼンとする。
たとえば「太平洋戦争」あたりと同じくらいに、現実感が失われつつある、かもしれない?
時間の流れとは、そういうものか。
千々に乱れ、泣き暮れた心の痛みが、遠い過去になりつつある?
つい先日感じたばかりの無念すら、風化が始まっている?
ニュースとか、世の中では「ナニカが起こった」ことを報道するわけで。
何も起こっていないことは、ニュースにはならない。
10ヶ月ぶりの釜石の風景は、のどかに、痛々しかった。
震災半年後の街は、廃墟が残りつつも整備されつつあり、人々の努力に涙した。
けれど。
それから10ヶ月ぶりに見た風景は、夏草が生い茂り、廃墟な建物は土台だけとなって夏草に埋もれ、
だが、
そこにはまだ、街は生まれていなかったのだ。ただ茫漠と、夏草が広がり。
ところどころでクレーンが、作業しているけれど、
人の住む「日常」は失われたままだった。
そして、何も生まれていないそこについて、
報道はされない。たいがいの人々の意識から遠い、遠くなった、忘れられた場所で、
人知れず?色あせていくのみ、なのだよ。
再生するのだと、信じていた。街が。
なんの根拠もないままに、思っていた。
失われた街は、人々の手できっと、もとに、戻るのだって。
――違う――
どうやら。新しく、街が立ち上がるのを待つしかないらしい。
何もない荒野に、何がしかのとっかかりで人が住み始め、よろずや商店が出来、女郎屋が出来、家族が住み始めて開拓され――
という、
無からの立ち上がりを、もう一度待つしかないらしい。
行政にも、計画は建てられないのだ、きっと。
釜石に港の風景はあったけれど、浜辺の街は失われたままだった。
それは。
人々が、一歩、山奥に住み始めただけかもしれない。
波の届かぬ高みに。
山の中に移転した仮設の幼稚園の先生に、
その前に、打ち捨てられた、被災して崩れた鉄筋の、以前の園舎をみていたわたしは、
「そっか。波の届く場所では、そんな場所では、どんなに安全を保障されても、もう子どもは預かれないってことね?」と言い。
「気持ちの問題なんですけれど」と、返された。
一方で、
塀や門扉には遺体が散乱し、泥や漂流物が床に積もった園舎を、
ていねいに掃除して、
未だに居残る「霊」を、その身に無言で引き受けたままの園長先生を、
(当日から3日間の記憶を失ったままだそうです)
そうとはわからぬままにも、コマメに他の先生たちがフォローしながら、
もとの場所で続いている幼稚園も、ある。
向かいの住宅は、区画と土台を残して失われたまま。
息を飲む若い連れに、
でも園児たちは毎日、この風景の中で暮らしているってことよ、と言うと、
――絶句、溜め息。数分をかけて、自分の中を整理していた。
訪れたおとながそんな状態の風景の中で、
無邪気に走る、園児たち。の、心の奥まで、わたしには、見えないけれど。
原発、ね。それも大切な問題よ。
汚染されて、そのままフリーズしてしまった街がある。大切な問題よ。
優先順位。わかるわ。
わかるけど。
復興は進んでいない。
みんなが思っている以上に、進んでいない。これからも、進まないでしょう。
お金は、こちらには、回ってこない。
寒い、よ。
どうしようもないけれどね。
じりじりと日に焼かれながら、寒い夏と出逢ったよ。
美しい人々の、無念の笑み。
そして、東京の。人のいい、物忘れの早い、喧騒。
わたしは、その中の。ひとりに、過ぎない。