あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

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メジャーの定義

今さら?と言われそうだけど。
いつもは素通りする本屋さんの店頭(いつもは奥にまっしぐら!)を眺めながら、改めて思ったの。

メジャーの定義。

いい作品だとか、人気があるとか、あんまり関係ないみたいだったわ。
そこそこいい作品で、そこそこ人の気持ちを動かせれば充分。
それより商品として、どれだけ経済を連動して動かせるか、なのね。と思ったの。

原作として映画やTVドラマになり。
そこにお金を出すスポンサーは、自社の経済効果を狙い。
なので当然、安心、安全、無難がつきまとう。

つまんないわ。でも、
ま、資本主義って、そういうことよね。ホント、今さらだわ。

出版社は、モノとしての「本」を売るために、
気持ちわるいほど、必死に、恥も外聞もかなぐり捨てて努力してるなあとも感じたよ。
うん。吐き気を通り越して、感心した。

 

舞台芸術は。
どれだけ、社会経済を、他分野の経済をも揺さぶれるのだろうか、と考える。
この時代に「社会的に認められる」というのは、そういうことだ。
経済を動かせないものは、社会に認められない。体よく床の間に飾られて、捨てられないだけマシってか?

うーん。
今から25年前に『キャッツ』はそうなろうとしたよね。5年後には『ファントム』が引き継ごうとしたはずだったよねえ。
いまだに空回りが続いている気がする? 思ったより発展しなかったかなあ。

舞台(ライブ)芸術は、経済効果のツールとしては役に立たない?
そう切り捨てて考えれば、楽なのかな。

 

経済効果としてのチカラもほとんどないのに、アートとしての権利ばかりを振り回しても、行政を説得できるわけなくね? これは商業演劇以外の場で、よく感じるんだ。
反論しても言葉が届かないので、黙ってることが多いけどね。

民主思想の中で「平等」という言葉の意味が少しゆがんでしまい、
マイノリティにも平等であるべきという考えと、
結果をださないモノに対しても平等であるべきというのが、ごっちゃになってます。

そこは別の場所にユートピアを探すべきじゃない? とか言うとね、
海外のケースを引き合いに出されるのがお決まりでね。
いや、他所の国では文化に対する理解が違うって言っても、歴史の厚みの差が違うことから考えないと?と返すことになるんだが、いよいよ言葉が通じなくなって、ね。

キリスト教をベースにしたボランティアや寄付に対する考え方が、文化に対しても行われているだけだという違いが、まずあるし。

小学校の学芸会すら追いやられ、プレゼントのやりとりを金品で済ませるような日本と、
子どもの日常のイベントとして、合唱や演劇がある(主にキリスト教圏の)国と。

演劇体験を、日本のカラオケや英語教育レベルぐらいに、誰もが通過しているかどうか。
この辺から洗いなおされないと、無理解は払拭できない。価値を実感できないんだもの。

体質的に、どうなのかなあ?という疑問はあるの。
バカにされるのがキライな風潮。開放よりも鬱屈を選ぶ傾向。
手間隙惜しまず、無意味なことに情熱を注げるか。日本人の資質。

なのに政治が悪いとか、よく言うわぁ。って、思う。
あははは。カドたつこと、書いちゃったワ。んん。話もズレてってるわね。

 

そうそう。アートとはそもそもメジャーになることとは限らない!という方向からも考えなくてはと、これも今さら青いけれど、思った。
創り手が追求する姿勢は、やっぱり「いいモノ」とは何か?がベースでなきゃあね。

作品をどれだけ経済に使えるかとアイディアできるのは、プロデューサーさんの役割り。
日本は。
この演劇の制作分野も弱いというか、内輪どまりになりやすい?というか。

これは学校行事の自主性、役割りの振り分けと経験あたりに原因がありそう。
――また、話がズレたわ。

 

 

ゆうべみた舞台はホントウに素晴らしかったのよ!

素晴らしいアートと触れられたのなら、それでいいじゃないの?かというと、
もっと多くの人に知ってほしい。触れてほしい。評価してほしい。

つまり「経済を動かせる芸術」になってほしいってことになる。

この作品、業界的にはメジャーだけれど、
日本の社会の中でも、もっとメジャーにならないかなあってことです。

とか言う以前に。
ミュージカル『ルドルフ』の舞台が、すごい出来になっている!って、
ね、どっかで聞いた? ニュースになった? わたしの耳に届いてなかっただけ? 

演劇関係者だと自認するみなさん、ご存知でしたか?

 

まず、そういうことなんです。