病院ボランティアに行った日は、いまだに疲れ果てて使い物にならなくなります。
うむむむむ。
(早く、からだが慣れないかな)
なかなか貴重なのはね。ボラで一緒の大学生と帰りの電車の中で、思いもよらない話が聞けたりすることで。
今日話した女子はね、
アウシュビッツを書いた『夜と霧』を読んだけどあまりに遠い昔の出来事であるせいか、ちっともリアリティが感じられなかったんだって言う。
ちょっと、ショックだったよ。
語り継がなきゃいけないことは、こんなかたちで風化していくんだ。
世田谷一家殺害事件について書かれた手記のほうが、よっぽどリアリティがあって怖かったとかね。
ソレとコレが同列に語られるっていうか、よっぽど負けてんの?って。
思いもよらなすぎる――
よくね、いろんな人たちから、30歳も年下の人たちとよく話ができるよねえ、みたいなことを言われるけれど。
これだから大切なんだ。
話してもらわないと絶対にわからないお互いの価値感の差。一緒に、日本で、同じ群れの者として、暮らしているというのにね。
明日、提出のレポートの課題が「自衛権」なんだって。
というわけで、わたしからは。
軍事力(暴力)以外での国の自衛ってありえないの?という質問に始まって、
外交をタテに最近は日本も軍事強化の傾向に流れつつあるけれど、自分の父親が戦争に行って、その手で人を殺すことを具体的にイメージしてみたほうがいい、とか。
自分の家族の安全を護るために、家に棍棒がおいてあることがあたりまえになるのはどうなんだろうか、とか。
向こうだってボランティアついでのおしゃべりとしては、なかなかだろうさ。
(で、戦争に対するリアルな感覚を持つには?って話になって、開高健の『輝ける闇』/これはベトナム戦争について の話になって、上記の話題となったわけです)