あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

ボラ研修

ボランティアに面談とか研修があるの?って、友人にもびっくりされましたが、
本郷にある大学病院のボラには、ありました。

病院、だからね。

今日の研修は、
感染対策の座学と、車椅子の扱いと目が不自由な方の補助の実習。

フォローしてくださるスタッフさんたちも、
一緒に研修を受けた方たちも、
なんかね、みんながステキ笑顔。人懐っこくて、世話好きで、謙虚。
っていうと、なんか嘘っぽい、でしょ? でもホントなの。

何人もの方たちと、いくらでもおしゃべりしてられるねって勢いで、たくさんお話したよ。
笑い転げたよ。
(まあ、最近のわたしは、たいていの初対面とそうなれる傾向はあるわね)

 

車椅子の介助はね。わたしは母が長期入院していた時期があったので、経験済みなんです。ま、問題なし。
問題は、疑似体験のほうで。

目隠しして、
他人の腕を掴んだだけで、知らない場所を歩く。階段の上り下りとかを、する。
つま先や、手すりを探る指先が、信じられないくらいナーバスになる。
左手がつかむあたたかい他人の腕。ずっと寄り添ってくれる、自分にとっての確かな世界は、そこだけになるの。

そして。
ここに○○がありますからね、と、強引に自分の腕「を」つかまれると、自分の感覚が霧散する。研ぎ澄ませたアンテナがゼロに戻ってしまうことも、知ったよ。

帰りに階段を降りるとき。「見える」ことにほのぼのと感謝する自分がいた。

 

 

 

ずっとね、ここ半年くらいね、ここに書こうかどうか迷っている内容がある。

去年、なかなかの金額を支払って、メンタルケア/精神対話士の勉強したでしょ。
実質、役に立たない肩書きだけを貰って、精神対話士にはなれなかったわけだけれど。
あれねぇ、
9割は確かに勉強にはなったけれど、
1割くらいは、うわっ、つまりお商売されちゃった(よいカモにされた)?という感覚なのです。

自分の反省だけだったら、それで終わりでいいけれど、
わたしも挑戦しようかと考えていますと年賀状に一筆書いてくれた友人や、
検索してこのブログにたどり着いてくれた方々にむけて、

よい面だけの記述でいいのかな?と思いつつ。

実質的な証拠のない、印象だけの、批判、をして、いいものなのかどうか。

ずっと迷っていたわけです。

 

それが、この大学病院での2回の体験で、ですね。
あの講座で、んん?それでいいの?と思っていたことが、
今回、病院のスタッフさんたちの、対応やアドバイスを見て聞いてて、
やっぱりそれがホントだよね、
あそこで、んん?と感じたあれは、ニセモノ、ゴマカシだったよね、という
確信というか、裏付けというか。

 

以下は、あくまでもわたしの受けた印象や疑問です。
メンタルケア協会を、中傷する意思はありません。具体的な数字や資料で証明していただけたら、すぐに撤回します。

あくまでも、あくまでも、受講を考えている方の参考までに、です。

 

『精神対話士』の実働は、
まったく活動をしていないわけではないようです。
ただし、講義中に宣伝されているほど広い活動をしているかは不明瞭です。(クライアントの守秘義務という言葉で包まれています)
毎回、何人の合格者が出たかは公表されていません。合格率15%とだけありますが、どなたが合格したのかはわかりません。問い合わせには応じませんと、最後の面接の直前に宣言されます。

となると、
活動の場がそれほどないのに、精神対話士ばかりを増やすとは考えにくい?
はい。あくまでもわたしの妄想ですからね。

講義/座学の内容は、一流の講師陣による、深い内容のものです。こちらは今でも、一生の宝だと思っています。

実技編が、少々お粗末です。実技のはずですが座学(看護学など)があります。
ロールプレイも、受講生はみんなで向学心にあふれて参加しているので、なんとなく納得した気分になっていますが、お手本があるわけではありません。
ふつうの研修によくある参考ビデオもありません。

これらはみんな、「対応が一律ではないからマニュアル化できない」と説明されます。
同じ理由で、『精神対話士マニュアル』もありません。
受講生は、(内容がオーバーラップする)いろいろな本に散財することになります。
世の中にはこれだけ優れたマニュアルが氾濫しているというのにね! 
それを言ったら、みんなが違う作品を書くための『まんが家入門』などはどうなるの?(すぐれた著作がたくさんあります)とか考えながら、わたしもかなりの金額の書籍を買いました。
はい、わたしにはくだらなく思える本もありましたよ。

さいごに、わたしが「んん?」と思ったいくつかの点なのですが。
この違和感を説明するのが、難しい。

要は、こういう場合はどう対処すればいいのですか?という問いに対する答えが、
体験的なものというより、教科書的な温度なのです。
モノゴトとは、あんな苦労やこんな失敗によって、「だからこういう考え方を、わたしはしています」という、プロならではの視点があり、その部分がたいへんな説得力を持つ。
失礼なことを申しますが、それが、うすっぺらかったのです。

たとえば、傾聴という技術がありますが、
人間相手の実際では、ただ傾聴するだけではくくれない問題が派生します。するはずです。わたしは実感します。
でもそこは、傾聴し続けてください。で、押し切られます。
そうかなあ。
わたしにはいまだに疑問です。とてもとてもとてもデリケートな問題ですけど――

などなど。

 

以上のまとめ。
メンタルケアの勉強としては、素晴らしい経験ができます。
「資格」がほしいのでしたら、かなり困難です。
すでに、精神対話士のPRマン(社会的な注目度)としての活動ができる完成度をお持ちでしたら、「資格」がとれるかも???

繰り返すけれど、あくまでも、わたしの印象ですよ!

 

さて、受講後。

たとえば地元のセタボラでは、
新しくセタボラ主催の講座にお金を払ってからでないと、傾聴ボランティアには参加できません。ただし、ここでもニーズはあまりないようです。
なのでわたしはスルーしました。(他のボラには参加しています)

目黒区のNPOでは、他のシステムと連動して傾聴ボラの実際の活動をしているようですね。くわしいことは知りませんが。

その他、傾聴だけの講座は、無料または安価なものが、最近あちこちであります。

 

という流れののち、わたしは。
メンタルケアではないけれど近しい内容のボラとして、病院ボラを選びました。

今月から、月に数度程度、から始めます。
どんな出会いが、気づきが、あるかな。