くんちとデジマと三人で、銀座のフェルメール全作品のレプリカ展に行ってきました。
しかも、デジマが関連本読了直後というラッキー。
三人は中学・高校と美術班(部)で、くんちとわたしは元まんが家で。
絵の前で、もぉ、解説+好き勝手に言いたい放題。
楽しかった〜
あ。以下は、キュレーターのセンセイたちには激怒されそうな好き勝手な感想です。という前提でお読みください。
室内で乱反射する光の描写が秀逸で、静謐な日常の息遣いという味わいが、一般的なフェルメールの解釈だと思います。
フェルメールくんが、とても描写力があって、粘着気質で、絵描きとしては職人で、なかなかの商売人なのは、よくわかった。
問題は、
パース(遠近技術)や人体デッサンの詰めが、何故かめちゃめちゃ甘いことだ。
このテの狂いって、気になる者にはすっごいキモチワルイ。音楽でいえば、音程の芯が外れているのに上手ぶって歌われる、あの感じに似てる。
パースの狂いを、布でごまかしてたりするのが、かわいらしいと言えば、言える。
女子の髪型を熱心に描写するとき、下に頭蓋骨があることを1回でもイメージすれば、そういう落ち着きの悪い形にはならなかったのにねえ、残念。とか。
(最後には、条件反射的に狂いを見分けてしまうわたしに、「つくづく因果な眼だねえ」とデジマに気の毒がられる始末。まぁ、(過去の)職業病のうちかも?)
職人で商売人の絵だな、と笑ったのはね。
当時の流行でもあった、絵にこめられた意味づけとか謎解きとか。
芸術性に疎い金持ちに自分の画を買わせて、お得感をもたせる手段として、仕込まれたんじゃないかって匂いがぷんぷんなの。
まんがだったら8-16ページくらいで描くドラマを、1枚のシャッターチャンスでどう描くか?という挑戦だったり。
注文主が金持ちだと、高い絵の具(ラピスラズリ=青)を使えるわけだけど、その青が映えるように黄色(光?)の使い方を工夫してる、とか。
37枚を観終わって、ぐるりと見渡したとき、
ゴッホとかだと垂れ流されて迫ってくる、画家本人の内面の変容が、
フェルメールだと、全然ないんだよ。
求められた商品を、自分の満足と平行して、形にしてる。
かすかに、画家の内面を反射していた気がするのが、
「真珠の耳飾りの少女」と、「天文学者」「地理学者」。わかんないけどね。
でも、絵として心惹かれるのは、コレらだった。
もうひとつ。うがった見方をわたしはしていて。
今回、監修の福岡センセイには、目論見があって。
状況証拠から、これはフェルメールの手によるのではないか?と思われるデッサンがあるのだけれど、それを証明するのは困難で。
たぶん、美術界は生物学者の気づきを、真面目にとりあげないだろうし。絶対に。
でも後年、何かの拍子にそれが証明されたとき、
最初に言い出したのはボクですからね!という、イベントである気が、するのよ。
ちがうかな。ずいぶん、かわいらしいでしょ?
ワンフロア降りると、そこではいろいろと絵の解釈や解説が展示されていて。
こんな1画があった。
つまり、この絵↓↓の風景の再現。
せっかくなので、記念撮影www
連れたちは、もう少し遊びました。お着物がくんちで、窓見てるのがデジマ。
この時点では、せっかくのテーブルクロスのバミに気づかず、残念。
上の写真でわかると思うが、デジマの立ち位置もバミってあります。ぬかりないわね。
予定としては、渋谷に行って、
別のフェルメール展(手紙ネタのホンモノが三点来てる)まで足を伸ばすはずだったが、
や、チケット売り場までは行ったのだが、
女三人のカシマシイおしゃべりが過ぎて、遅くなりすぎて、
閉館までの30分で41枚の観賞は無理だろうと、断念したのでした。
で、会場前のドゥ・マゴでケーキセットを。(おしゃべりはまだ尽きぬwww)
頼まなかったけれど、
フェルメール記念で、チョコケーキには砂糖で作られた手紙が乗っているんだよ。
さて。
銀座でランチに始まって、
しゃべりながら展覧して、
お茶して、
渋谷に移ってイタメシして、
締めがケーキ――
足も口もおなかも、お疲れさま! 愉快な1日でした。