久々にコンテンポラリー・ダンスを観たよ。
枯れてて、ユーモアがあり、集中力が異様に高くて。
突飛といえば突飛かもしれないけれど、
コンテの括りの中では、特に突飛なアート・パフォーマンスでもない。
が、
緊張感と微かな緩みが、類なき美を描く。
どんな日本人ダンサーよりも、とても日本的なテイスト。
声や息や呻きや叫びを含んだ、ノイズだらけのサックスの、インプロを。
(ちょっと尺八っぽく聴こえる)
見つめる、劇場中の眼を。空気感を。
ダンサーは感じ取り、自分の血流の奮えへと、変換する。
反応するということは、コンマ何秒かの遅れ、ということだな、と。
そんなことまで、キッチリと感じさせる。
この作品の見せ場のひとつは、自分のからだを黒インクに浸して、
紙にこすり付けてアクシデント・ドローイングな身体表現をしてみせることで。
ゴッホの『カラスの飛ぶ麦畑』を思わせる構図のがあったんだけれど、
パンフレットでもアフタートークでも、誰も指摘してなかったな。
さいごには、インク壷(特殊インクだけで500キロとか言ってた)に、
どっぷりと全身を浸して、
ぼたぼたぐちゃりと、紙の上でのたくるわけだが。
あ、皮膚でアートしているのって、案外と珍しいナと、思いつく。
この間TVで見たけれど、最近の「生命体」の定義には、
自己や種の、成長や増殖能力のほかに、
自己と外界との明確な隔離(膜とか皮膚とか?)があるらしいのね。
ナジさんは、その部分で、アートしてるってことかぁと、がぜん楽しくなる。
生命の境界で、動き流れる表現を、しているのねぇ。
これらの感想は、うん、わたしが勝手に派生させ、言葉に変換してる感覚。
ご本人が、意図しているとは、思わない。
コンテのダンサーは鏡なのだよ。
かれの空気や感覚を通して、わたしは自分の内面を映して見ている。
自分と出会う。
コンテンポラリー・ダンスの最大の魅力は、そこ。
アフタートークつき。
萬斎さんの容赦ないつっこみに、インプロの日本語訳ができない通訳さん、
よく頑張りました。
一時間の緊張が溶けて、ぐにゃりとちょっと眠そうなナジさんに、
(でも前日は初日レセプションのあと、別に飲みにいったようだしな)
延々と、コアな質問を掘り下げていく萬斎さん。
あはははは、ステキな性格だぁ。
呆然と、その流れに口出しできない司会者さん。そろそろ切り上げろよという客席の空気の頃になって、自分の質問を繰り出してたこと、自覚してないのだろうな。
その辺の空気も、めちゃ楽しむ。(観客としてイジワルい?)
計算できない不調和という、風景。最大のインプロ(即興)だ!