あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

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『ラ・カージュ・オ・フォール』を観た

MとSの世界(ウイーンMコンサート)のチケットを取ろうとしたけれど、縁がなかったの。 売り出し開始から30分。 まず、販売サイトに入れないんだから。 つまり、観れなくてゴメンねぇ。
ようやく入れたチケットサイトで、じゃあ代わりに、とこのミュージカルを選びました。 それが2週間前。

古き良きミュージカル・コメディ。
終演後の客席が、老若男女みんなみんな、あたたかく笑みこぼれてて、幸せそう。
素晴らしい!   

2012.1.19. 18:30-  日生劇場

 

ってか。 まずコレを言わないと収まんないので、スンマセン。 (>_<〃 

きゃーっ。 鹿賀さんのジョルジュにヤられたよぉーっ。 かっこよかったよぉっ。
オトナで、ロマンティックで、華やかで。 

あのねあのね、スゴかったのはねっ。
ただ立っているだけで、ご自分の内面を大きく動かしただけの芝居が、
1階席を飛びこえて、GC(バルコニー)席まで届いてきたの。 
息子の言葉にショックを受けて、とても寂しく哀しく感じて(という感情の流れもステキ!)、それでいいのか?という問いを、無言で息子に投げかけて、息子からも反応を引き出してた。 大劇場の芝居で、だよ!
うきゃっ。 ノックアウトだよぉ。 (って、マニアック過ぎるかしらね)

 ^m^ ヘヘヘッ

幕間に、ふと。 
鹿賀さん+市村さん+日生劇場って、わたしの高3の青春だなぁと懐かしくなった。 高校生だった。 渋谷の学校から走って帰って、セーラー服を脱ぎシャワーをあびておしゃれして、花束を買って劇場に走っていった。 鹿賀さんにサインをねだって、ファンレターを渡した。
うん。 美大受験で、一生で一番絵を描いてた時期だよ。 その合間に。
この日の鹿賀さんを拝見しながら、絵が好きなだけの高校生で、芝居のナニもわかってなかったのに、鹿賀さんにホレた、自分の感性にあらためて感心する。 
(2年くらいで、その気持ちから卒業しちゃったけどね)

いや、あのおふたりは高校生のわたしを見ているんだよなぁ、と思うだけで、案外くすぐったい気持ちですって。 ふはははっ。 あれから30年以上、立ちました。

  (ღˇ◡ˇ)♥

 

さて。

オープニングから、ぶっ飛ばされましたよ。 マエストロ塩田。 見事な音。
歌う、歌う。 拍手もあおって、客席を見事にノせてくれました。

だけどね、(中略)www

一幕の後半、カンカンのショーがまず圧巻だったんだよ。 二幕も含め、ここ以降の舞台が、ほんと素晴らしくてね!! もう幸せなの!!! 

コメディシーンで、
舞台上で役者がつい笑っちゃった!のをネタとして使うのは、基本反則だと思うけれど。 
モリクミさんや今井さんのお人柄もあって、とても感じがよかったのね。

何故、反則かというと、作品とは別のところで展開しているネタだからで。
でも、確実に。 その場で生まれた感情、反応だから、それを魅せられて、お客はわくわくしてしまう。
ゆえに役者が引きずりたがるソコを、あっさりとやめさせる加減が難しいわけで、
演出の山田さんのさじ加減が見事なわけです。

涙を流して笑っちゃったぃ!

 

先日、小澤征爾さんの言葉で、「文章の巧い下手はリズム感」みたいなことを読み、
大道芸を観ていて、芸の技術が低くても人を惹きつける人と、技術はあるのにモタつく人との差も、そっか、リズム感の問題なのか、と考え始めていて。
(あと、どれだけ大きな空間(お客も含めて)を意識して、制御できるか、とか)

コメディも、その方のからだが持つリズム感、が勝負なのかもしれないと思ったよ。

というのも、モリクミさんが舞台に出ていらしたとたん、劇場中の空気の輝き度がアップして、わくわくしたの。 とろりと、ぴりりと、金色のスープみたいな空気になった!
引き込まれるリズム。 届いてくる大きさ ♪

原田さんも、というわけで、リズム感がいいのかな。
役の解釈がおとなの視点で、えっとコレ、演出家が何か言ってたっけかな?と、さっき山田さんの過去のブログを読み返してみたけれど、みつかんなかった。
ジョルジュの「まだ、子どもなんだ」という台詞が、大きく活きてくる作り方。  

 

うう。 正直に言葉にしてみるのが誠意なのか。 
わきまえて、黙っているのが礼儀なのか。 いまだに迷ってる。 どうしよう。

  

この作品を以前観たのは、いつだったかなぁ。
カジェル(ゲイの踊り子さんたち)に女性が交じっていたんだよ。 見つけてみてください、が売り文句だったような。 
自分はゲイだとカミングアウトするってだけで、作品の大きなテーマになった時代。

だけどね。 はるな愛ちゃんが国民的なアイドルとして自然に認知され、素人なおねえキャラがTVに跋扈している、今の日本。 時は流れたわけでしょ?

死語となった表現、感覚。 が、依然として残る舞台に、あれ?と惑うの。
これは、どうなの?

バーレスクという文化の裏打ちがないから、最初のショーのカジェルはあんな物干し竿みたいな感じでも仕方がないのかなぁ。 真島さんが唯一、匂いを発しているなぁ。 
空気の圧し方が違うと言えばいいのか。 ゲイパブとかはもっと小さな空間だから、そりゃ空気の密度が濃くなる。 それを大劇場で再現するのは、無理なのかな。

でもね、その空気感がないと。
その中でしか生きられないザザ、輝けないザザの、生き詰まりの哀しさやけなげさが、
難しくなるのでは?と思うし、
ドラマが、家族とか人を愛することとかって普遍的テーマになる後半には、時代とか特殊な偏見とかが関係なくなるけど。 なくなるから、いいのかな。

マイノリティである、意地とか。 誇りとか。 だからこその、密度って。 表現としてやっぱり欲しいような。

 

サザ/アルバンの出だし、がね。
中年女の嫌な部分を見せられているようで、戸惑ったんだ。 サザの愛らしさ、ジョルジュが愛さずにはいられない欠点だらけの、ザザ。 であって欲しいのだけど。 どうなのかな。

市村さんは、軽々と作ってみせてしまうけれど、ホントは難役だよね。

以上が、文中の(中略)w 

 

感想を書いてみましたが、この作品にコンナにこだわりを持っていたとは、自分でも知りませんでした。 自分の中の位置づけとしては、『トーチソング・トリロジー』という大好きなストレートプレイ(たぶん鹿賀さんのエポックメイキングな舞台!)の、大衆向けミュージカル・ショーなんだけど。 あ、同じ作家の、別の作品ですヨ。

ひさしぶりに、『トーチソング』の映画でも、借りて観ようかな。 イナーフ、という言葉を抱きしめに。