あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『小澤征爾さんと、音楽について――』

小澤征爾さんと、音楽について話をする』 ×村上春樹

読了しました。 
おもしろかった〜 そしてそれはどこか、チョットたよりない感じも含んでる。
ベートーベンとかブラームスとか語られてもまるでわからないし、
まあ、それでも読んでいて、たぶんこんなことなんだろうなと見当はつき、
でもね、
なんとなくわかったつもりでいる自分は、果たしてどれくらいわかっているのかな?というのが、全然わかんなくて。 そのへんが、不安にさせるのだと思う。

分野が違っていても、所詮は人間のやるコトなので。
そんなに、的外れな理解はしていない、と思うんだけど。

 

書かれていないことにも、思いをはせる。
小澤さんが、「なぜか(自分はこの人に気に入ってもらえて)」という語り口をしたときの、
その、「なぜか」の理由とかね。
なぜ「なぜか」という表現をしたのだろうか、とか。 
自慢に聞こえるのを控えたのか、
それともホントに気づいていないのか、
そんなことについて考えてみようともしない性質でらっしゃるのか。

20年くらい前、NYのデリですれ違ったことがあり(同行してた友人がご挨拶した)、牛乳のパックを片手に、週末にメットで振るのでと話してくださったのが、唯一の小澤さんのナマ経験なのだが、
(ちょっと自慢です)
そのときの印象を重ねながら。

 

それから以前、おとーとが気に入ったというピアニストを聴いてみて、ショパン以外はいかがなのかなあ?と思ったツィマーマンのことを、
おふたりが褒めてらして、これは聴きなおさないとなあ、とか。
この場合、音楽として聴きなおしたいのではなく、
自分がどうしてそういう聴き方をしたのかを考えてみたいのだろうなと思う。

わたしはわたしとしての捉え方しかできないし。
音楽も、この本の読み方も。

 

あ、なんていうのか。
この本を読むことで、
自分がチョットだけ掘り起こされた!みたいな感覚はあるかも。