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あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

東北の風景@岩手

**大震災** *三茶deボラ

一緒にスタッフした恵美ちゃんや智くんのカメラのデータも手に入れて、
HIBI★Chazz-KさんのCDも手に入れたし、
今日は朝から、東北の写真を整理し、スライドショーの編集をしてます。

週末のアートタウンで、関係者みなさんにお渡しできるように!
というわけで、それ以降、ウチにいらした方は強制鑑賞会ですからっ!

 

「東北の風景には隙間がない」と言ったのは、GENさんでした。
あ、ソレわかる!とわたしは叫んだけれど、くわしく話したら少し違ってて、あっと、えっと、
んっと、違わないか、な。
GENさんは、山の緑がぎっしりしていることを差し、
わたしは黄金の田んぼが隅々まで、森の際まで開墾されてることを感じたのだが。

んでね、そのみっしりと、広々とした空が同居している。

 

旅から帰ってきてから友人が貸してくれたコミックに「I(アイ)」というのがあって、
それを読んで、最終的に確信したのだけれど、

東北には、独自の哲学があると思います。
賢治とか寺山とかにも共通する、みっしりと重く、突き抜けるような広さを持った、哲学。
厳しい自然と必死に闘う一方で、遠野物語を語り継ぐ文化。

へなちょこな東京人なんか、てんで歯が立たないような。

 

 

さて、
新宿を6時半に出発して、キャラバンバスは北へ向かい、

宮城県あたりで両側に拡がる、先日の台風でなぎ倒されたのか、なぎ倒されたままになっている金色の田んぼが妙に気にかかる。 収穫を放棄しちゃったのか?と心配になる。
行きずりにはわからない。
自分は無責任な、ただの行きずりなのだ。
収穫が済んだ田んぼもある。
一部だけ刈り取られた田んぼは、放射線量の検査中なのか、結果が出てしまったあとなのか。 風景ごとにドキドキと気にかかる。

 

そして釜石駅で、
前日の四国から夜行列車を乗り継いできたパフォーマーさんたちと合流し、
海に向かう道。
あそこで変わるから、と予告はされていたんだけれどね。

二階屋の、二階から上は普通の日本の風景。
一階部分は、ガレージのように、何もない。 この半年で、ガレキや泥は掃除されたのだろう。 そんな廃屋と、
コンクリの土台が間取りをなぞって残った空き地、とが並ぶ。
海に近づくにつれ、二階もガレージというか、骨組みだけというか、
生き物の内臓をさらしているような家も、まだある。
そして、
どうすればこんなふうにひしゃげるんだ?と、理解を超えたつぶれ方をした車の残骸が、
10台くらいずつあちこちに、ていねいに並べられている。

写真とか映像で知っているはずの風景です。
だけど、駅から海までの距離という空間を自分のからだで捉えると、
この空間を、海水が覆ったのだ、渦巻きぶつかり、流れ戻したのだ、とイメージすると。

膝が震えた。 背筋が伸びて、涙がにじんだ。

怖かった。

そして、
半年かけてここまで整地した人々の、コツコツと積み重ねた日々と労働に感動した。
人間はすごい。 東北の人はすごい。 かなわない。

  

大槌の4つの小学校と1つの中学校は、今、丘の上の仮説校舎にある。
この地の仮設住宅はあちこちに点在していて(まとまった地面が得られない結果)、それぞれからスクールバスでここに通ってくるのだそうだ。

Cimg1784_2  

吉里吉里小学校も丘の上にある。

Cimg1805  

この校庭の反対側は、

Cimg1806  

左端の緑屋根の一階までが、海水を被ったのだそうだ。
まあ、つまり。 岩手の海辺の子どもたちはこの風景の中で、毎日を過ごしている。

休み時間の校庭で、女の子たちに鉄棒の逆上がりのコツを教えたついでに、
「大変だったの?」と訊いたら、みんなでここにつれてきてくれて、口々に話してくれた。

公演終了後は、この近くで、ご近所のおばあちゃまとも長々と立ち話をした。

 

津波の話をするとき、地雷な単語や文章がある。 が、あまりに思いがけない。 

子どもたちのときは、なんだかわからなかった。 
はしゃいでいたひとりの表情がすぅっとなくなり、え?と見つめたら、
テープが巻き戻るように話題が少し前に戻って、何事もなかったように別の方向へと進んだ。
おばあちゃまにはうっかりと、
「今の海はこんなにキレイなのにね」と言ったとき、同じことが起きた。
(以降は気をつけましたっ)

ただねえ。

お医者にかかると、これも症候群だナンだになるのかもしれないけれど、
人間の自己防衛として、ごくあたりまえな状況なんじゃないの?という気がした。
人はこうして心のバランスを取って生きていくんだよね。

それは、東京で一歩一歩生きるわたしたちと同じでは?とか。

ケアするのは、専門職より、周囲の人々の役目なのでは?とか。

 

 

たまたま、
わたしがお話や挨拶を交わした方々が全員、底抜けに明るく元気だっただけ、かもしれないけれどね。
(愉快で息を呑むような大道芸と一緒に行動してたわけだし)